パプアニューギニアの独立まで
パプアニューギニアの独立まで
パプアニューギニアという国がある島はもともと、アフリカのギニアという国と混合しないように New Guinea(ニューギニア)として1500年代に命名されました。
1800年代には、
島の南東側はイギリスの支配、
島の北側はドイツの支配を受けます。
1900年代になるとイギリスの影響力がオーストラリアに受け渡され、第一次世界大戦のあいだにオーストラリアはドイツが支配していた領域も手にします。
イギリスの支配をうけていた島の南東側は Papua(パプア) と改名され、
ドイツの支配をうけていた島の北側とは異なる統治方法が実行されます。
第二次世界大戦のあいだには日本が両地域を占領したのですが、日本の支配は短命に終わり、オーストリアによる支配が復活すると、1949年に両地域が the Territory of Papua and New Guinea としてオーストラリアの管轄下におかれるんですね。
もともとオランダ統治をうけていた West Papua と呼ばれる地域は、インドネシアの侵略をうけたことで国連の管轄下に一時的におかれたのですが、結局インドネシア領になっています。
パプアニューギニアの独立後
1975年になるとパプアニューギニアは、オーストラリアから独立した国家となります。
しかし 1989年になると、パプアニューギニア国内にある Bougainville という島が独立を願って反政府軍事行動にでたんですね。
1994年にパプアニューギニア政府が "段階的な自治権を反政府軍にあたえる" ことを提案するのですが、完全な独立以外受けいれたくない反政府軍はこの平和条約を拒否して争いを続けます。
しかし1998年に両者のあいだで停戦が約束され、オーストラリアが平和維持を監視する役割を担うことになります。
Bougainville 島では独自の政府が設立され、そのうち新しい国として認められるであろうと言われています。
難民
オーストラリアにはこれまで、多くの難民が各地から逃げ込んできました。
そういった事情から、2013年以降、
パプアニューギニアやナウルの島国に支援を提供することと引き換えに、
オーストリア政府は難民に対してその両国で一時待機してもらう政策をとりました。(Offshore processing といいます。)
しかし、待機場所の生活環境が人権保護の観点から問題になったり暴動がおきたりしたため、2017年にオーストラリアは、パプアニューギニアの難民一時待機施設を閉鎖することを発表しました。
参考: BBC News, UNHCR
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