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イラクでの紛争とテロが続く理由

イラクという国の始まり

第一次世界大戦後、それまで中東の大部分を統治していた Ottoman(オスマン)帝国が崩壊し、イギリスが今のイラク周辺を支配し始めます。

しかし、そのイギリス支配を地元の軍隊が乗っ取って、イラクという国が建国されます。

新しくできたイラク政府は、
Sunni(イスラム教スンニ派)、
Shia(イスラム教シーア派)、
Kurds(クルド民族) という三つのグループが牽引することになります。

イスラム教徒全体の多数が Sunni(イスラム教スンニ派) で、
Shia(イスラム教シーア派) は少数派になります。

ちなみに、Sunni(イスラム教スンニ派) と Shia(イスラム教シーア派) はどちらもイスラム教を信じているのですが、昔に後継者をめぐって分裂しました。

一方、Kurds(クルド民族)は民族グループで、 "国家をもたない最大の民族" と呼ばれていたりします。

隣国のイラン革命の影響がイラクへ

イラクでは1979年に、Saddam Hussein (サダムフセイン)という人が独裁政治を始めるのですが、
その年に、イラン革命が隣国イランで起こります。

このイラン革命が Saddam Hussein (サダムフセイン)にとっては脅威でした。

イラン革命は、
少数派であるイスラム教シーア派の人たちが立ち上がって権力を手にした事例だったので、
多数派イスラム教スンニ派の人がこれまで権力をにぎってきた中東諸国にとっては、脅威だったわけです。

イラクとイランは他の中東諸国と違って、
イスラム教シーア派の人が多い国なのですが、
イラクリーダーの Saddam Hussein(サダムフセイン) は、イスラム教スンニ派派閥の政党から支援されていたのです。

つまり、彼にとってもイラン革命は脅威だったわけです。

そこで、1980年に Saddam Hussein (サダムフセイン)はイランに軍事侵略し、1989年までイランとイラクの間で戦争が続きます。

海外への侵攻

イランへの軍事侵略に加え、Saddam Hussein (サダムフセイン)は1990年に、
石油ビジネスを拡大するために隣国のKwait(クウェート) にも軍事侵略します。

国際連合を含め海外諸国は、
Saddam Hussein (サダムフセイン)の横暴に軍事や経済的な制裁を加えるわけですが、
とくにアメリカは厳しい軍事行動にでて戦争になります。
これを、the Gulf Warといいます。

Saddam Hussein (サダムフセイン)の独裁政権は、2003年にアメリカがイラクへ軍事侵略することによって終わりをむかえました。

今イラクでは何がおきているの?

その後、イラクでは国内の多数派である Shia(イスラム教シーア派) の人々を中心に新しい政府が誕生し、イラクは "イスラム教に基づいた民主国家" として、新しいルールと政治体制をはじめます。

しかし、長い間続いていた独裁政権や紛争からすぐに回復するのは難しかったのです。

民主政治や法治システムに対する国民の信頼を得ることができなかったり、若者を中心に失業率が高まったりしたことで、国民の不満が募って抗議活動や過激派による軍事行動が続々と起きていきます。

とくに Saddam Hussein (サダムフセイン)が独裁していたころの政治の中心であった Sunni(イスラム教スンニ派) の人々のなかには、この政治に対する不満を Shia(イスラム教シーア派) の人にぶつける人たちも出てくるのです。

こうして、Sunni(イスラム教スンニ派) の中でも過激な人たちが ISIS(イスラム国) という軍事組織をつくり、
Shia(イスラム教シーア派) の人たちは ISIS(イスラム国) から身を守るために the Popular Mobilisation Forces (PMF) といった軍事組織をつくって対抗するわけです。

ちなみに the Popular Mobilisation Forces (PMF) は2018年に、正式なイラク政府軍として活動をはじめています。
こうした背景から、国の安定をもとめた紛争がいまもなお続いているのです。

テロはなぜ広がるの?

デロが続く理由を考えるポイントは "不安定な政治体制” と "勢力争い" です。

表面上だけみると "宗教的な理由” とか "教育の欠如" といった結論に先走りがちですが、それは本質的な部分ではないんですね。

とくに過激派軍事組織の多くは、そこまで貧しい環境で育ったわけでもない人たちが率いている場合が多いです。
彼らが貧困に苦しむ人たちを兵士として勧誘することは大いにありますが、組織を引っぱっている人たちの多くは、教育をうけた上で政治的な安定を求めて戦っていることが多いんですね。

たとえば Saddam Hussein (サダムフセイン)の独裁が終わったあとのイラク国内では、新しいイラク政府が国を上手くまとまられず、国民の安全を確保する仕組みが整っていなかったんです。

イラクをはじめとする多くの中東諸国では安定した政治体制が整っておらず、石油の輸出に頼っているがゆえに経済的な仕組みも不安定なままです。
石油の輸出でお金持ちであるということは、雇用の安定など経済的な発展によって手に入れた経済的な豊かさとは別物なんですね。

こういった不安定な状況の中、 ISIS (イスラム国) が現れ、目的として "西洋の影響力を取り除き、イスラム教徒の尊厳が重んじられるような国を作る" ことを掲げています。

ちなみにここでの "イスラム教徒" は ISIS(イスラム国) を構成している Sunni(イスラム教徒スンニ派) の人たちを意味していて、Shia(イスラム教徒シーア派)の人たちは含まれていません。

ここで問題なのは、政府組織が不安定な状況において、こういった明確な目標をもった軍事組織は ”変革” を意味していたりすることです。

たとえば ISIS(イスラム国) は社会的弱者を中心に勧誘を行っていて、そういった人たちに食べ物や安全を提供することによって勢力を拡大してきました。

ISIS(イスラム国) は経済面でも、組織の支配がおよぶ範囲においては税制度を設けていたり、犯罪行為、石油の輸出や外国との貿易などで資金を調達する仕組みを持っています。

“組織のリーダーの下で、ルールにそって、居場所や身の安全を提供する”。これって、本来なら政府の役割なのですが、それが国家体制として機能していない状況下で、"過激な行動は許せないけれども、政府よりは信頼できる仕組みを持っている” と人々に思わせるのが、ISIS (イスラム国)のような過激派軍事組織なんですね。

勢力争い

そしてさらにこの対立を悪化させるのが、中東地域内での対立構造です。

サウジアラビアとイランは中東におけるツートップで、”アメリカとソ連” のように基本的に相手の影響力をさげるような戦略の下、中東での紛争に参加しています。

Sunni(イスラム教徒スンニ派)の人たちが多いサウジアラビアは、ISIS(イスラム国)を支援し、

Shia(イスラム教徒シーア派)の人たちが多いイランは、ISIS(イスラム国)の対抗勢力を支援するわけです。

イラクがイランに軍事侵略した際には、
サウジアラビアがイラクをサポートしています。

ここで注目したいのが、”勢力対立がメインであって、宗教の違いはその次” ということです。

イランはイラン革命で西洋の影響力に反発してできた国なので、アメリカとライバル関係にあるのですが、この勢力争いも中東の情勢に関係してきます。

アメリカがイスラエルをサポートすれば、
イランはパレスチナをサポートするわけです。

しかし、パレスチナは Sunni(イスラム教徒スンニ派) の人たちが多い国なので、イラン国内では少数派です。

イスラム教徒スンニ派とイスラム教徒シーア派の対立よりも前に、国家間の勢力争いが影響しているわけです。

イラクのもうひとつの勢力である Kurds(クルド人) も、イラク国内での勢力争いの渦中にいるのですが、
隣国のトルコは、
Kurds(クルド人)が "独立国家になる" 夢を叶えてしまうと、トルコの影響力が脅かさるため、
Kurds(クルド人)を敵としている他の軍事組織をサポートするのです。

こういった海外諸国の影響をうけて、”テロ組織” と呼ばれる過激軍事グループは勢力を拡大しているわけです。

参考
Al Jazeera English, BBC News, Council on Foreign Relations, Vox, TRT World, Feature History
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