ポーランド情勢を見る視点:前書

18世紀末から20世紀初頭にかけ欧州列強諸国により国家主権を蹂躙され続け、第二時世界大戦後にはソ連の衛生国と化し、約半世紀にわたり共産主義単独政権により国家支配を受けるという屈辱的な歴史を経験し、本来のポテンシャルを押し殺されて生きたポーランド。今、中欧の大国として注目を集めつつある。

同国のポテンシャルを実証した史実がいつくか欧州史に刻まれているが、現代史においても東欧民主化の端を開いたのはまさに同国であった。

第2次世界大戦後の共産主義体制下、体制自体に内在する矛盾や政府の国家運営に失敗が続いたことで平凡な日常生活を送ることが困難な状態に陥っただけではなく、公安による統制や検閲などによる基本的人権の迫害が横行したことで市民の不満が徐々に蓄積されたいった。やがて政府に対する憤りは1980年代の「連帯」運動として凝縮され、1989年には遂に共産主義体制の崩壊を引き起こす大きな原動力となった。ポーランドに始まった脱共産主義体制の流れはベルリンの壁崩壊、東欧諸国の民主化へと繋がり、結果的には冷戦終結へ辿り着いた。

1989年以降、ポーランドは一日も早い国際社会への復帰、特に西欧諸国との関係再構築を最重要課題とし、意欲的に国内諸改革や積極外交政策に取り組組んだ。現在では、ポーランドを民主国家と称して何ら遜色がなく、市場経済も十分に定着している。そして何より、国際社会における信頼を回復し、自身を取り戻しつつある事実を見逃してはならない。

とりわけ、2004年5月1日に果たした念願の西欧復帰は同国史上における一大イベントといえよう。欧州連合(以下EU)の「東方拡大」により、同組織の正式加盟国になったのである。EUはこの日、ポーランドを始めとする計10ヶ国を新規加盟国として迎え入れ、総人口4億5000万人を有する巨大国家連合へと変貌した。15ヶ国から25カ国大制へ移行した新生EUにおいて、ポーランドは中欧の大国として存在感を発揮している。新規加盟10カ国中最大であるという規模の優位性や、EUとロシア、ウクライナ、ベラルーシとの歴史的関係だけでなく、地政学的観点からもポーランド抜きに新EUを語ることはできない。事実、ポーランドの東側国境は現在、ウクライナ、ベラルーシと接するEU圏・非EU圏のボーダーラインとなっている。

今年(2022年現在)EU加盟から18年を迎えるが、ポーランドが計り知れない恩恵を受けた事は明白だ。多種多様な補助金による莫大な財政援助を受給できるだけでなく、民主主義・市場経済の質や教育・文化水準の向上など市民生活全般において「文明的革命」とも称されるほどの飛躍的発展を達成した。

ポーランドが国際舞台で信頼を確実に回復し大国としての自信を取り戻しつつあるなか、我が国との関係も急激に接近している。EU加盟前には、2002年の天皇皇后両陛下訪問に相次ぎ、2003年には小泉首相も欧州歴訪の一環としてポーランドを訪れている。この際、両国政府間で戦略的パートナーシップが締結され日ポ新時代の幕開けとなった。最近では、両国国交樹立100周年に際した2019年の安倍首訪問が挙げられるが、この際、「戦略的パートナーシップに関する行動計画」に沿い諸分野での協力が進んている事実を両政府は相互確認している。また、日EU・EPA発効の観点からも、経済分野での協力を一層強める意向も明らかにした。

そして2022年。全世界がウクライナ危機に注目する現在、同国支援で官民問わずポーランドが主要な働きをしている。真っ先に大量の避難民を受け入れただけでなく、物資輸送の実質的な窓口になっているほか、中長期的には、戦後ウクライナ復興の拠点として各国を結ぶハブ的な存在になることが期待されている。先日、ウクライナはEU加盟候補国の公式認定を受けたが、脱共産主義、民主化、西欧復帰(EU、NATO加盟)を遂げた隣国ポーランドが一つの手本となることは間違えない。

このように、中欧・東欧地域のキープレーヤーであるポーランドであるが、その実像については日本では驚くほど知られていない。この媒体では、政治、経済、社会、文化など多面にわたり、様々な情報を提供しつつ、同国関係発展を担う新たな受け皿となる活動のベースとなることを目指す。

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