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人間と愛情の関係性と愛情欠乏症

弱肉強食主義に異論を唱えた人物は、
いなかったのだろうか?
自己の欲望をむき出しにする人が立派な人と呼ばれることはない。
立派な人と呼ばれるには、
欲望主義を克服して
愛情主義を貫いた事実がなければならない。
たった一人で居るなら何の問題にもならないが
複数の人が関連することによって欲望と欲望の相互関係が生まれてくる。
欲望と欲望が見事に調和するか、
激しい闘争となるかの分岐点は
愛情主義に基づいているかどうかにある。

赤ちゃんはとにかく欲望を満たそうと必死に求め続ける。
欲望が満たされれば満足し、微笑みを浮かべ、静かに眠る。
赤ちゃんから見れば欲望主体だが、
母親から見れば愛情主体である。
言い方を変えれば、赤ちゃんは母親の愛情で成長する。
肉体は母乳で成長しても心は愛情で成長する。
親の愛情は、
相手の欲望に合わせて適切でなければならないことは既に述べた。
親は赤ちゃんの様子を見ながら、
今何が必要かを考えながら一生懸命に世話をする。

空腹になれば食事をする。
食事をすればやがて満腹となり
それ以上は食べられなくなる。
お腹いっぱいになってもまだ食べ物があれば
自分以外の人にも与えようと考え始める。
受けようとする姿勢から与えようとする姿勢に変化する。
これが欲望主義から愛情主義への転換点となる。

自分の満足が現実となって初めて与える心が芽生え始める。
与える余裕が生まれる。
この転換がとても大事である。
子供は身体の成長の為に母の乳を求めるが
その実、心では
本当の栄養として母の愛情を求めている

なるべく幼いうちに「もう満腹だ。」
というレベルまで愛された実感を与えなければならない。
食べ物で満足しても、愛情で満足していなければ
常に愛情に飢えた状態を継続することになる。
これが続くと慢性の飢えとなり心は大変な病気にかかる。
「愛情欠乏症」という病気だ。
この病気にかかると、愛されることを求める状態から脱することができず
他者に愛情を注ぐことができなくなる。
愛情主体の人生が送れなくなる。

愛に満足すればやがて感謝することを覚え、
感謝の言葉がほとばしるようになる。
感謝の心が行動となれば恩返しとなる。
成長に応じて恩返しの比率は大きくなる。
感謝もまた愛であり、そのこと自体が喜びを拡大する。

愛情を与え、愛情がかえってくる。
この美しい回路を作り上げることが人間として立派な存在であると言える。
それこそ本来の人間の生き方であると私たちは確信している。

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