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皇室外交の価値、日本にもたらしたもの

西川恵さんの著書『知られざる皇室外交』を読みました。

この本を買ったきっかけは、ブロガーのちきりんさんが「日本人の必読書!」と言っていたからだったんですが、しばらく積読のままになっていました。
先日、自民党の河野太郎さんが「女系天皇」を容認するコメントをしていて話題になっていたので、「そうだ皇室のことを知りたいなと思って積読にしてる本があったな」と思い出し読んでみました。
いやはや。確かに日本人のMUST READ(必読書)!と思いました。

河野太郎さんが話題に出した「女系天皇」云々とは違うテーマなのですが、本来は政治的存在ではないはずの皇室(特にこの本では平成時代に天皇・皇后でおられた今の上皇夫妻)の外交を中心に語られています。
皇室は本来は政治的存在ではないので、宮内庁は「皇室外交」など存在しない、というかもしれないけれど、中身を見れば直接政治的な交渉をしたりするわけではなくとも、友好・親善を深めるという意味で、ジワジワ効いてくる外交を担ってきていることがよくわかります。
「皇室は日本の最高の外交資産」と呼ぶ人もいるくらいだそう。

特に上皇陛下は戦後、「世界の敵国」のポジションだった日本が国際社会に受け入れられるように努力されていたことが分かり感動的でした。
本当にジワジワ感動する本。

オランダの反日感情を劇的に改善させた

例えば、日本とオランダは鎖国していた江戸時代から出島を通じて、唯一国交のあった付き合いの長い国です。
しかし、第二次世界大戦の時、日本をに経済制裁を行った「ABCD包囲網」のDはオランダ。つまり日本とオランダは敵国同士になりました。

日本国内ではあまり知られていませんが、当時オランダ領だったインドネシアを日本軍が攻めてオランダ人を捕虜にした時、捕虜虐待問題というのが起こりました。
他国の捕虜と比べても日本の捕虜になった人の扱いはひどいもので、死亡率も高く、慰安婦にされた女性もいました。
オランダ国内では「日本軍に酷い目に遭わされた」という人たちやその遺族が大勢おり、日本への悪い印象が戦後ずっと強く残っていたのです。

日本の皇室とオランダ王室は戦前から交流があり、戦後も皇太子時代の上皇陛下とオランダのベアトリクス女王は、両国の友好を深めるためにお互いの国を国賓待遇で訪問したりしました。
しかし、なかなかオランダ国内の反日感情は薄れず、1971年に昭和天皇がオランダに立ち寄った際には車に魔法瓶が投げつけられる事件が起きるほど。
昭和天皇が亡くなられたときの大喪の礼には、アメリカ大統領やフランス大統領など、国連の常任理事国の国家元首も参列する中、オランダは駐日大使の参列となりました。
その翌年の上皇陛下の即位の礼のときも、オランダの国内感情を意識して、ベアトリクス女王は日本に来られませんでした。
ベアトリクス女王は「様々な状況を鑑みて、私が行かない方がいいと判断いたしました」という手紙を上皇陛下に送ったそうです。

そんな状況が続いていた中、西暦1600年にオランダのリーフデ号が日本に漂着して400周年となる2000年に、当時天皇となっていた上皇陛下の国賓としてのオランダ訪問が実現します。終戦から55年経っていました。

以下、著者の西川さんが2000年にオランダ訪問をした上皇陛下について語っているインタビューの引用です。
(インタビュー時はまだ平成だったので「明仁天皇」となっています)

明仁天皇のオランダ訪問が実現したのは終戦から実に55年を経た2000年5月。戦後初めて国賓でオランダを訪れた両陛下は、戦没者記念碑に献花して黙祷をささげました。またオランダの人々とのさまざまな交流を行い、さらに、第二次大戦を振り返って「返す返すも残念なことでした」とお言葉を述べられました。その様子はメディアで大きく伝えられ、オランダの対日感情は劇的に好転しました。

おそらく天皇は、このオランダ訪問で自信を持たれたのではないでしょうか。いわゆる和解ということに対して。オランダというのは自由主義の国で、社会主義の国と違って世論を政府がコントロールできませんから、自分たちの訪問に対して、どういう結果になるか分からないですよね。でも滞在中にメディアの論調が変わっていき、世論の空気も変化していくのを肌で感じられたはずです。
「知られざる皇室外交」がこの国にもたらしたもの より)

オランダ訪問から5年後、上皇陛下ご夫妻はサイパンにも慰霊の旅に行きました。
日本人だけではなく、朝鮮半島から現地に民間人として来ていた方々、敵国のアメリカ人、戦闘に巻き込まれてしまった現地の人々も含めたすべての戦没者へ慰霊をしました。

両陛下は海外慰霊を始めるときに、これは日本人のためだけの慰霊ではないということを言外で示しています。サイパンでは、アメリカ軍や韓国人の慰霊碑にも行って、頭下げました。

ペリリュー島に行ったときも、地元の犠牲者の慰霊碑に行かれました。

こうやってみると反日を和らげるというよりも、慰霊に対する強い意志を感じます。父・昭和天皇が、戦争を止められなかったことへの重荷を、引き受けるのだという信念ですね。
「知られざる皇室外交」がこの国にもたらしたもの より)

「慰霊の旅」が上皇陛下の人生をかけた仕事となっていたのだと思います。

2018年12月、翌年に退位を控え、天皇として最後となった誕生日前会見で、上皇陛下は「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに,心から安堵しています」と述べられていましたが、この本で数々の慰霊の旅とその背景を知り、この言葉の重みが分かりました。

敵対心を超えて友好を築いていくために

皇室が外交をするというのは、下手をすれば憲法に触れる話になるので、学校では絶対に教えてくれない内容です。
天皇制についての思想や考えは人それぞれあって良いと思いますし、それについて議論もあって良いと思いますが、それとは別にこれまでの実績として、皇室が日本のために多大なる貢献をしてきたということは、日本人として知っておいてもいいのかなと思いました。

上皇夫妻は海外に訪問する時、観光地に行くよりも、慰霊や地元の人々との交流に多くの時間を割くそうです。
世界中の戦没者への慰霊と、戦争で悲しみを背負った人々や両国の親善に努めてきた人々との交流に尽力しました。
これは欧州の王室とも違う、上皇夫妻が作った独自のスタイルだそうです。

今年は1945年の終戦から75年が経ちました。
実際の戦争を経験した人は年々少なくなっており、あの悲惨な歴史を繰り返さないために後世にどう語り継いでいくのか、そして今もなお、しこりが残る国とどのように関係を築いていけばいいのか、戦争を知らない私たちにも課せられている問題だと感じます。

日本が加害してしまった国に、日本政府として謝罪はしても、被害者や遺族の心の傷が癒えるのには時間がかかります。
でも、外国からは「国家元首」として見られる天皇の立場で、上皇陛下ご夫妻が日本の代表として慰霊碑に花を手向けて黙祷したり、遺族の方々と言葉を交わしたり、心を寄せる姿勢を見せてきたことで、心の傷が癒えて前に進めるようになった人も確実にいたと思います。

これはまさに上皇陛下・上皇后陛下の人間力の賜物なのですが、今年広島に行ったり戦争を考える機会を得た私にとっては、このお二人の姿勢が戦争への向き合い方の指針になるように感じました。

戦争で負わされた傷や心に巣食った敵対心は、慰霊をして、話を聞いて、優しい言葉をかけて、そうして心を寄せることで癒され、初めて前を向いて友好を築けるようになる。
一般人の立場であっても、そうした真摯な姿勢で心の交流を持とうとする姿を示すことが、お互いのしこりを溶かして次に進むために必要なステップであるように思います。

慰霊の非対称性問題

この本では、慰霊についての非対称性についても指摘されています。
外交では基本的に、相手が慰霊してくれたら次の訪問のタイミングでこちらも慰霊を行う、といった形で相互関係になるのが普通だそうですが、日本の場合は靖国神社にA級戦犯が合祀されているため、諸外国の元首は靖国神社には慰霊に行けず、結果的に日本では慰霊の非対称性が起きてしまっているそうです。

諸外国の代表者が慰霊に訪れることで、被害者や遺族の心が癒されて、これからは友好を育んでいきましょうと前に進める部分は間違いなくあると思います。
私は靖国神社について、勉強不足で今の形になった詳しい経緯をちゃんと知らないので、どうすれば良いか明確には分かりませんが、例えば千鳥ケ淵戦没者墓苑のように別の場所でも良いので他国の代表が戦没者の慰霊に訪れることができる場所を作ったりするのも一案だと思います。

世界の敵国だった日本を国際社会に復帰させた功績

日本では「天皇を国家元首とする」という戦前の憲法への反省があることから、現在の憲法での天皇は「国民の象徴」となっており、皇室の報道のされ方もそのお人柄が中心になりがちです。
しかし、外国の目から見たら、天皇も「国家元首」として扱われ、その国を訪問したり、逆に日本に招いておもてなしをする際にも政治的な意図を持たせようとします。(宮内庁は慌てるそうですが)
もちろん、天皇や皇族が貿易や国防に関するような国際的な政治的テーマについて積極的に意見を述べたりすることは基本的にはありません。
しかしながら、皇室がやってきたことは、友好を深めるという外交そのものだと思います。

日本人の中にも、皇室の在り方について、様々な意見はあると思いますが、まずはそれをいったん置いておいても、皇室が外交の面で大きな貢献を果たし、戦後日本が国際社会に復帰するための基礎を作ったことは、日本人として知っておいても良いのかなと思える本でした。

皇室外交は次の世代へ

このnoteを書くにあたり、オランダ王室と日本の皇室との関わりを調べていたら、以下の記事が見つかりました。

令和が始まり、新しい天皇となった徳仁天皇は、大学時代から「水上交通」をテーマに水にまつわる研究をされ、平成19年には国連の水問題の諮問委員会の名誉総裁に就任しています。

オランダも、国土の4分の1が海抜0m以下で、治水は国家事業として重要だったという歴史的背景があります。
オランダのウィレム・アレキサンダー国王も、水問題に強く関心を寄せられ、皇太子時代には、国連で水問題の諮問委員会の議長に就任し、世界各地の水問題に取り組んできました。
お二人は、皇太子時代から世界の水問題解決に取り組む仕事仲間でもあるのです。

水問題はSDGs(持続可能な開発目標)の1つにも数えられる国際的な問題です。

第二次世界大戦では、敵国として戦火を交えた日本とオランダ。
戦後も大きなしこりが残り、長らくオランダの反日感情が残っていたのが2000年の上皇陛下夫妻の訪問により大きく進展。
そして、21世紀に日本の天皇とオランダの国王となったお二人は、皇太子時代から世界の水問題に取り組む仕事仲間として、より強い結びつきを持っている。
日本とオランダ、国同士の争いを超えて、ともに世界市民として共通の問題に取り組むという関係になったということ。
なんだか感動してしまいました。

徳仁天皇は、日本の皇太子として初めて留学を経験した方です。皇后の雅子様も帰国子女であり、ハーバード大学を出て外交官として活躍されていました。
令和の天皇皇后両陛下は、若い時から国際感覚あふれる環境で歩まれてきたバックグラウンドがあります。

お二人は、また令和の新しい皇室外交を見せてくれるのではないかと、また楽しみになりました。

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