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〈転調〉を繰り返す世界で私たちは

7月14日(日)

午前中、一木けい『愛を知らない』(ポプラ社)を読んだ。前作『一ミリの後悔もない、はずがない』もそうだったが、タイトルと装丁が良すぎて、他にもたくさん読む本があるのに気づいたら買っていた。

主人公はピアノを習っている少年で、合唱コンクールでクラス合唱の伴奏を務めることになる。合唱成功に向けて共に練習するクラスメイトの前で、彼がクリスマスソングや結婚式の定番曲を長調から短調へと次々に転調させながらピアノで弾くシーンがある。この〈転調〉が、登場人物たちがそれまで当たり前に信じていた世界ががらがらと崩れて、世界の見え方や色彩が変わっていくことのメタファーになっていて、うまいなあと思いながら読み進めていた。

母と11時30分にJR川崎駅の時計台前で待ち合わせた。夏休みに二人でベトナム旅行に行くので、そのツアー決めのためだ。世間は三連休の中日であるらしく、駅周辺は家族連れで混雑していた。

母は私と対面した瞬間に「あら、ちょっと痩せた? 顎のあたりがすっきりしたんじゃない?」と口にした。前回会ったときから一キロ程度しか減っていないはずだが、私の両親はわずか一キロの増減を決して見逃さず、私が思春期の頃からそれに事あるごとに言及してきた。弟が言われているのは聞いたことがない。私が自分や恋人の体重の増減にかなり敏感であるのにはたぶんこのことが関係している。私は痩せているときは母似と言われるのだが、贅肉の蓄えかたは父や父方の祖父にそっくりだ。太れば太るほど父に似ていくから、私は太るのがこわい。

アゼリアにある丸福コーヒーでカリーランチを食べ、食後のブレンドコーヒーを飲みながら様々な旅行会社のパンフレットを比較検討する。ランタン祭りで有名なホイアンに行き灯籠流しをする、ハノイ湾のクルーズをする、毎日違うホテルに泊まるような移動の多いツアーは避ける、ということで方針が定まり、その足で旅行会社のカウンターに向かう。二社のツアーを比較検討して、日数が6日間でハノイ・ホイアン・ホーチミンに行けるベトナム初心者向けのツアーに決め、その場で申し込みをして保険にも加入し、全額を支払った。「キャンペーン中でアルコールのサンプルをお配りしているのですが、お飲みになりますか?」と聞かれたので「お飲みになります!!!!!ください!!!!!」と力強く答え、酒を飲まない母の分と併せて計四本のクリアアサヒ350缶を頂戴した。荷物は重くなったが足取りは軽い。

いいツアーが決まって一安心だね、酒もくれたしいい会社だったね、と言い合いながら近くのフルーツパーラーへ。もうコーヒーはいいや、ということでイチゴやオレンジがごろごろとポットに入ったフルーツティーを頼む。

互いの近況報告の延長で、話題は群馬県に住む父方の親戚の話へ。子供の頃は盆正月GWの度に帰省して、お年玉をもらったり、はとこのお兄さんお姉さんに遊んでもらったりしていたが、成人してからはあれこれと理由をつけて一度も顔を出していない。祖父母(父の両親)は健在なので、ここ数年は正月に彼らが川崎の家に顔を出し、そこに弟夫婦と私が集合する、という形を取っている。父と母はよく二人であるいは一人ずつ群馬の方に様子を見に行っているらしい。

田舎は噂話ばかりで嫌だ、と言いながら母はその田舎の噂話を私に聞かせてくる。

私や弟を自分の背中に乗せてお馬さんごっこをしてくれた優しい親戚のおじさんが先日亡くなったこと。そのおじさんの息子が自分の再婚相手に、前妻との間に子がいることを話しておらず、その子に葬儀に来られたら困るという理由で親族の反対を押し切って家族葬を決行したこと。

私の祖母の兄とその嫁の間の子が、実は祖母の父が孕ませた子であるらしいこと、そしてそのことをずっと知らなかった祖母に、酔った親戚がついこの間口を滑らせて言ってしまったらしいこと。

私の祖父の会社が倒産したときに、祖母と父を守るために祖父が一旦籍を抜いた話は知っていたが、祖父が別居中に地方で愛人を作り、その愛人から私の家にまで金の無心が来た、それで言われるがまま何十万も金を払った父に母が激怒した、なんて話を私が母から聞かされたのもわりと最近である。

いわゆる「疵」のない人生なんてないのだろうと思うし、他人のそういう話が娯楽になる田舎を否定するつもりはない。私自身もそういう話を聞いてショックを受けるほど潔癖な人間ではないし、むしろ祖父の話を聞いたときには「こんなに堅実な両親の元に産まれて弟も堅実に育ったのに、なんで私だけこんなに安定から遠いところにいるんだろう?」という悩みから解放された気になったので、母がそういった愚痴や噂話を私に話してすっきりするのならどんどん話してくれてかまわない。

子供の頃はそんな下世話な話は私の耳には入らなかった。どんなに噂話が好きでも、それを子供の耳に入れないようにするくらいの分別はある人たちだったのだろう。あるいは子供たちも成人して親元を離れ、それぞれが流れた時間の分だけ平等に年老いたがために、話題が噂話くらいしかなくなってしまった、ということなのかもしれない。

子供の頃に私の目に見えていた「優しくて陽気な親戚の人たち」という世界は、長い年月をかけて次々に転調していった。

帰省を終えて自宅に帰る度、泣きじゃくりながら父や父方の親戚をなじっていた記憶の中の母にようやく得心がいった。

さっきまではベトナム旅行とクリアアサヒに浮かれて舞い上がっていたはずなのに、親戚の話を母から聞いているうちに、背中まわりに何かどろどろしたものがべったりと張り付いたように全身だるくて仕方なくなった。ティーポットに残った大粒のイチゴは、予想に反して食べられないほどに酸っぱかった。

母とは駅で笑顔で別れた。帰り道、よく行くスーパー銭湯に駆け込んで、サウナで汗と一緒にどろどろしたものを絞りだそうとする。水分をちゃんと取らなかったせいか、目眩がして地面が急に近づいてくるような感覚があった。そんなことは初めてだった。

サウナと水風呂の往復を終えて洗い場に向かうと、私が荷物置き場に置いていた、ジップロック入りの入浴セットがなくなっている。化粧水や洗顔、シャンプートリートメントなど一式すべてそこに入れていたので、汗をかいた頭髪を洗い直すことも乾燥した肌に化粧水を塗り込むこともできず、ふらふらする体を引きずって家に帰った。

80歳を超えてから、自分の姪だと思っていた人間が自分の実父の子だと軽い調子で知らされた祖母の衝撃はどれほどのものだっただろう。それまでの自分が見ていた世界が塗り替えられていく感覚。記憶の中にある家族の思い出が全部音を立てて崩れ去る感覚。祖母はそれを知らされた日にちゃんと眠れただろうか。

私自身は、自分の意思で息苦しい閉鎖的な世界から距離を置いて生きてきた。転調を繰り返す世界もうまく受け入れているつもりでいた。
それなのに、目眩はまだ続いている。頭がぐらんぐらん揺れていて、目を閉じてもなかなか眠りにつくことができなかった。

#一木けい #愛を知らない #親子 #親子関係 #親戚付き合い


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