見出し画像

暴力との和解、或いはスイッチの話

友人の紹介で入ったとある武道の道場は、彼女のお父上が先生をしていて、弟も一緒になって門下生に教えていた。

彼女曰く、「私も黒帯までは取ったけどあまりにも人種が違ったから。普通の人って遊ぶ時に側転しようと思わないじゃん」。
そこまで異常者集団には見えなかったし、事実、道場のひとたちはみんな優しくて明るくて、爽やかな人たちだった。小さい子供からおじさんまで、年齢の垣根を越えて交流する。気持ちの良い空間だった。

そもそも何故私が友人から勧誘されたか。
何を隠そう、私も手が出るタイプだったからだ。

別に虐待というほど大袈裟なことをされて育ったわけではない。しかし母の気に入らないことをしようものなら平手で、拳で、物で、足で、暴力を振るわれて育った。父に口ごたえすれば手を上げられたし、しかし父は私より気が弱いので私が怒鳴り返せば握った拳を静かに下ろすことができる人種でもあった。

暴力を受けて育った人間は、殴ることにも殴られることにも無頓着だ、というのが私の持論だし、実際私がかつて結婚していた男性から手で、刃物で、暴力を受けても私はそんなに動じなかった。知っているタイプの肉体言語が出てきて安心しさえした。

前の夫に暴力を受けるだけでなく、私も誠心誠意彼に暴力を返した。拳でひとの顔を殴ることにあまり躊躇いを感じないタイプだ。
無論平和に会話をしていた相手を突然殴ることなどしないが、人間には「スイッチ」がある。それは人間が生き延びるための機能だ。
スイッチが入ればどんな人間でも、他者に対してどれだけでも加害できるし、被害を受けても平然としていられる──というのが私の持論で、スイッチの入り易さには個人差がある。私は人より少しだけスイッチが入りやすかった。人間性の損壊度とも言えるだろう。

「結局さ」

友人は、当時実家住まいだった私の家のダイニングで穏やかに笑いながら酒を飲んでいた。

「暴力を制するには暴力なんだよ。祭さん、暴力向いてるよ、絶対」

向かいでノンアルコールの梅酒を飲んでいる私は「こいつはこんな菩薩みたいな笑顔で何でそんなに物騒なことを言うんだろう、これらって両立することあるんだ」と感動しつつ頷いた。

しかし私には致命的な欠点がある。

目で見た情報の処理がめちゃくちゃ下手なのだ。

私のIQはまあまあ高い。科目ごとの数値を平均すれば百十くらいだったが、下は九十を割り、上は百三十。ちなみに記憶力が異様に高い。
その九十を割るのが、目で見た情報の処理だったと記憶している。

例えば学生時代、『マクロスF』が流行った頃。
私はランカ・リーの『星間飛行』を踊れるようになろうと一日四時間ほど練習していた時期がある。二ヶ月やっても覚えられなかった。

つまりどういうことか。
武道においてどうしても外せない「型」がどうやったって覚えられないのだ。

ちょうどコロナが猛威を振るう時期だった。稽古公共の体育館を借りて行われる。緊急事態宣言がなされればzoomで行われた。
私は入門前だったがちょくちょく稽古に参加しており、どうやったって異教徒の儀式みたいになってしまう型を頑張って真似たり、突いたり蹴ったり(つまり殴ったり蹴ったり)の練習をした。

友人から、彼女の弟は有段者の中でも随分上手い方であるという旨は聞いていた。
だからその最中のある日、先輩が「着るマットレス」みたいな防具を持ってきた時、弟くんに私はキラキラしながらお願いをしてみた。

「あの、良ければちょっと本気で蹴ってみてもらえませんか。本物を味わいたくて」
「蹴……!?」
「絶対どれだけ痛くても怒らないし防具つけるから。試しに」
「何故そんな……」
「本物を味わいたくて」

彼は少し引いていて、私はだいぶ食い下がった。
彼が渋々OKしてくれたところで、友人と彼のお母さんから「本気でやるんじゃないわよ!三割だよ!」と注意が入る。

「本気で大丈夫です!ある程度慣れてるので!」

私はみっともなく食い下がる。

さて弟くんがちょっと笑って、下がった。私は自分で言い出したくせに衝撃に怯えて身体に力を入れる。

衝撃というか、痛みというか、防具をつけているのでそういうものはなかったが──身体が吹っ飛んだ。
気が付けば私は崩れ落ちて天井をぼんやり見ていて、弟くんが「二割」と言いながら私を立たせてくれる。

「ぅわ」

思わず口から声が出た。まろび出る、という表現が正しいかもしれない。

「ウワーーーッ!!スゲーーッ!!!」

私は興奮して防具を着たまま走り回っていた。みんなが何事かと見ていたが、そんなこと気にならなかった。

私に今まで暴力を振るってきた人間とは桁外れの膂力と技術だった。日常的にこっちを受けていたなら確実に私は死んでいただろう。世の中にはこんなにも強い人がいる。私はそれが嬉しくて嬉しくて、万歳して走り回ってはしゃいだのだ。

さて、私は一方的に暴力を受けて満足するにとどまらない。

あれはいつだったか、攻撃と防御の練習をいっぺんにしよう、という回があった。
他のメンバーは勿論技術を用いてそれを行うが、私はまだその段階にない。「祭ちゃんはとにかく楽しもう」と説明の後に先生が注釈を入れてくれて、練習は始まった。

最初に相対したのは、あらゆる武道や格闘技を趣味にしている、ガッチリした年上の男性だ。普段は優しく笑って丁寧に話し、私より先に道場に来る真面目な方。
私が突けば彼はそれを防ぐ、という練習で、私は拳にグローブを付けてわくわくキラキラしながら彼と向かい合い──

拳が何故か出せなかった。
というか、普通に怖かった。

彼の纏う空気が変わったのだ。
あ、私普通に殺されるんだろうな、みたいな。

コーチをしていた友人の弟くんが「Mさんちゃんと本気」と派手に笑う。

恐る恐る拳を突き出しても当たり前に弾かれる。ヤケになって何度か入れても全部弾かれた。

「交代!」

鋭い声が飛ぶ。私は背中に冷たい汗をかきながら「怖かった〜」と弱い声を出した。

「出すでしょ、本気」

Mさんは眉を下げて優しく笑う。

「出さなきゃ失礼だもん」

私はたまらなくそれが嬉しくて、ニコニコお礼を言ったのだ。

さてメンバー交代。今度もまた私が突く番だ。
今度の相手はYさんという大学生の男性で、爽やかで物腰柔らかな方だった。

「お前絶対手ぇ抜くなよ」

弟くんがYさんの肩を握る。

「何処まで本気出していいですか」

今度は私も良いところを見せなきゃと意気込んで私は肩を回した。

「全力で行って良いよ」

弟くんは笑う。

「絶対届かないから」

ここで私の闘争心に火がついた。

ここから先は

1,662字

ヨルピザ後援会

¥1,000 / 月
初月無料
このメンバーシップの詳細

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?