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子供はドレイ?〜「ありがとう」を忘れた瞬間、あなたはすでに『親』ではない〜

子供の成長を感じると、自然と嬉しくなりますよね♪

でも親ってバカなもので、ついつい子の成長に甘えて、自身の成長へ、親年齢の上げ方を忘れがち

井上正任の有名な句がある。

はへばたて たてば歩めと 思ふにぞ 我身につもる 老をわするる

子の成長のかたわら、本当に忘れてしまっているのは老いではなく、『感謝の心』ではないだろうか?


『アレコレ』の対価

4人いる子供たちのうち、我が家の一番上はもうすぐ6才。

女の子ということもあり、男の子に比べると物分かりがよく、親の言うことに比較的応えようと努力してくれる。

最初の子だけあって、愛情いっぱいに育った長女は、『努力すれば親から何かしらの反応が返ってくる』ということをよく知っていた。

子だくさんとなり、家庭での手が回らなくなる場面が増えてくるとつい、我が子の素直さを良いことに

「アレしてくれない?」

「コレしてくれない?」

まさにアレコレ、小間使いのように頼んでしまう。

お店での買い物同様に、注文にはそれ相応の対価が必要。それなのに親は子に対して、支払いを忘れがち。

親の頼みごとに対して、子どもが求める対価は何か?

それはたった一言の「ありがとう」。

感謝を忘れた瞬間、あなたはもう親ではなく、ただ子供の労働力を良いように使っている奴隷主に成り下がっているのだ。


奴隷主から親へ

先日、夕食の準備中、いつものようにアレコレと長女に頼んでいた。

お父さん、『ありがとう』言わないね

ドキィッッッ?!

長女のボソッと放った一言。

確かに「ありがとう」言ってない。今だけじゃなくここのところずっと言った記憶がない。

長女に頼るだけ頼って、ほんの一言の「ありがとう」を忘れてしまっていた。

長女にとっては私からの、親からの「ありがとう」が何より嬉しい対価なのだ

その対価ほしさにアレコレとものを聞いてくれる、やってくれる。

聞き分けのよい子供の素直さに甘え、その素直さが当たり前に使えるものだと、いつの間にか錯覚していた


意識的に生きる

仕事に子育てに日々のタスクに追われる中、つい無意識的に子供を奴隷化してはいないだろうか?

「お父さん、大切なこと忘れてたね。ごめんね。いつもお父さんお母さんを手伝ってくれて『ありがとう』

気づいた瞬間からでいい。今このnoteを読んでくださった時からでいい。

ぜひ意識的に「ありがとう」を言うようにしていきませんか?

言葉を掛けるのにお金はいりません。タダで出来るんです。

タダより高いものはない

プライスレスなものにはプライスレスな気持ちで応えるしかありません。

子の成長と共に、親年齢もバッチリ上げて、私と一緒に

育ててくれてありがとう♪」

と言われるような親を、ぜひ目指していきませんか(^^)


あとがき

先日、第4子の出産に間に合い、奇跡的に生まれる瞬間に立ち会うことができました。

命懸けで生まれて来てくれた。

数ある親の中から選んでくれて、あなたに褒めて、笑ってもらいたくて生まれてきた。

奇跡だな。ありがたいな。

そんな彼女、彼らの尊い命。生きる1分1秒を【当たり前】にしてしまっている。

もったいないですよね。

『当たり前じゃない』

その奇跡を表現する言葉こそが

『有り難い』転じて「ありがとう」

なんですもんね♪

今日も読んでくださったあなたに

「ありがとう♪」


あなたのそのお金は、あなたが働き、培った、あなたの時間という名の『命』です。もしあなたの『命』を寄付したいと言われたら、私は覚悟して扱わなければならない。『決して無駄にはできない』