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無用な続編が人を駄作にする【日記:2023/3/27】

終わったと思った作品の続編が、急に発表されることが近年よくあります。
ファンとしては、あの作品をまた見れると喜ぶ反面、少し不安になる。
綺麗に終わった物語であればあるほど、つまらない続編で感動が汚されてしまうのではないか、そう思って中々食指が動かなくなってしまったり。
おかげで10年経っても未だに、『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編] 叛逆の物語』を見れていません。
新作『ワルプルギスの廻天』が公開する直前になったら見ようと思っている。

ハッピーエンドはその先の未来、永遠のハッピーを保証するわけではない。
幸せは点であり、離散的だから瞬間とともに溶けて消えていく。
物語の終わるその瞬間、一瞬の今というのは点であるため、その時に幸せになることはできる。
現実において、その幸せはすぐ過去になって霧散してしまうのだが、物語の終わりは一つの特異点。未来がないから永劫の幸せというのを成立させることができるのだ。と思う。
続けると言うことは、終わりを中間点に変更して凍り付いた時間を動かすことに他ならない。
人生とは、物語とは山あり谷ありなので一度幸せになったからといって、その後落とし穴に落ちないとは限らない。
いかにその時点が幸せの絶頂だとしても、その先で昏い絶望に落とされるのだとしたら全体としては差し引きで不幸だ。
物語が幸せに終われるのは、幸せの後が語られないからで、それこそが物語が現実に比べて優れている点だと思う。

現実は、無用な続編に満ち溢れている。
告白の成功、幸せな結婚、仕事での成功、友人との楽しいひと時、
そんな美しい時間は永遠に続くこともなく、監督からのカット指示が入ることもなく、ダラダラと続き浮いては沈む。
チャペルで誓った永遠の愛が冷めて、浮気や夫婦喧嘩に発展するのは全く珍しくないし、友人との楽しいひと時も翌日の辛い仕事のことを考えると霧散してしまったりする。
綺麗なCGでも一枚出して、そこで終わりにしておけばいいのに。
語るべきではない日常は、輝かしい瞬間を風化させて過去にする。
盛者必衰、熱力学が支配するこの宇宙において、冷めないものがないのは分かっているつもりだが、それが少し悲しい。

もし私が人生の絶頂の瞬間を迎えたら、その後に主題歌を流してフェードアウトさせて欲しいと本気で思っている。
将来、私の人生を読んだオタクに『中盤までは面白かったけど、途中からテンポが悪くなったから読むの止めたw』とか言われたら、耐えられない。
無用な続編は人を駄作にする。
だから、物語も皆の人生も、美しいところで終われることを切に願っています。


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