嫉妬【日記:2023/1/28】
インターネットには自分より優れた人間がごまんといる。
なんて、評論家ぶったことを言うのは趣味ではありませんが、どうにも暴れ出したくなる日がある。
Youtubeを見ていたら、ホロライブの画伯みたいな動画オススメに上がっていたのでみた。
”個性的”という意味での画伯もいたが、”上手”という意味の画伯もいた。
歌が上手くて、声が可愛くて、トークができて、Youtube登録者も多いのに絵も描けるんだ凄い!と思った反面、どうしようもなく嫉妬した。
先日、会社時代の同僚と飲み会に行った。
一応退職する自分の送別会という名目らしい。ありがたいことです。
自分の夢、みたいな話を昔は隠していましたが、最近は隠してもしょうがないなと思ったので、そういう恥ずかしい話もいくつかした。
話題は思いのほか弾んだ。後輩の子が学生時代、演劇部で脚本の賞を取ったことがあるというのを初めて知った。
私は何も言いたくなくなって、レモンサワーを煽って酔ったふりをした。
小さいころから何かをやってこなかったことには、一抹の後悔があるが、
どうしようもない過去を気にしてももはや変えようもない。
過去は話のネタにだけしておけば、それでよいはずです。
それにサラリーマンとして仕事はまあまあそれなりにはできたと思っているし、職場での評価も悪くなかったと思うから、ステータスの割り振りの問題なのだとは思う。
惜しむらくはスキルという意味のステータスと嗜好という意味での精神のステータスの嚙み合いが悪かったことか。
こういう夜は「親ガチャ」だなんだと騒ぐ人たちの気持ちもある程度わかる気がする。
インターネットはなんでもあるようでなんでもない。結局知り合いに気軽に教えてくれる人がいる、というのが何かしらのスキル成長において多大なアドバンテージであることは変わりなくて、幼い頃にそれは親以外にあり得ない。
不公平な世の中ではあるが、公平よりはマシだと思うので、何とかしたいなら何とかするほかない。
かの有名な、神聖ブリタニア帝国第98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニアもこう演説しています。
皆で戦って、未来へ至りましょう。
嫉妬心はそのためのエンジンになってくれるといいですね。
【余談】
私は嫉妬というとこの曲を思い出します。
緑眼(Green-eyed)というのは嫉妬深いという意味を持ち、
シェイクスピアの「オスロ」で使われて以降、英語圏では鉄板の表現とのこと。
緑の目って美しいから、本来嫉妬も美しいものなのかもしれませんね。
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