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努力という名の逃げ【日記:2023/3/22】

少し前に、『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』という本を読んだ。作者は麻布競馬場さんという方で、所謂タワマン文学という物に分類されるであろう小説。
家柄や能力など、現在の様々な格差を東京や東京タワーを象徴として描き出している名作です。読んでいて少し機嫌が悪くなる程度には。

形式としては短編オムニバスで、独立した話が20本収録されているのですが、私が特に心に残っているのは『真面目な真也くんの話』という一本。
ストーリーとして、とある男が大学時代の同級生だった真也くんという人のことを思い出しながら独白するというもの。
非効率的な程に真面目で良い人だった真也くんの失敗と大人になった今、
彼の人生に責任を持たず、あいまいに肯定を続けてきてしまったことへの薄い罪悪感。そんなものが静かに地の文で語られます。
詳しい部分は是非とも読んで頂きたいところですが、一つだけ印象的だった文を引用したく思います。

彼はどうも、頑張ることに逃げているらしいと気づいた。
どうも昔からそうだった気がしてきた。努力のぬるま湯に、手を動かしていることのぬるま湯に首まで浸かっていれば、湯気で先の不安が見えなくて済む。彼は真面目な訳ではなく、人生に対してひどく不真面目で、その不都合な事実から目を逸らすために、子供がお母さんに興られているときに手遊びをするように、努力に逃げているらしかった。

この部屋から東京タワーは永遠に見えない/麻布競馬場

頑張ること、何かに埋没し何かの奴隷になるのは意外と楽なものです。
勉強でも、労働でも、社会規範でも。
仕事を辞め、無職生活を謳歌している今だからこそ、逆にそう感じます。

ある種の正解、あるいは評価軸が存在する勉強や仕事と違って、
1人孤独な人生においては、自分を裁定してくれる他人というのは存在せず、自分で考え決断して行動するほかありません。
合っているかも分からないことを、実行するのは非常に疲れることで、
これなら他人に命令されたことを淡々と片づける方が楽、とすら思えます。
こういった心の動きは昔からあったようで、20世紀フランスの哲学者
ジャン=ポール・サルトルは「人間は自由という刑に処されている」という言葉を残しています。

世の中からブラック企業がなくならないわけです
辞めてどうなるか分からない以上、その混沌に飛び込むのはある意味でどんなパワハラよりも辛いものがあるというもの。
社畜ほど定時で帰る人を見下している傾向がある気がしますが、ある種彼らの方が自分というものを自己管理できていると言えるかもしれませんね。

一人で生活していると、何か自分を納得させる努力をしたくなってきがちですが、安易な努力への逃避は危険なのかもしれない、そんなことをふと思わせられました。


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