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私達はみんな土の下の屍【日記:2023/5/20】

「神様のいない日曜日」というライトノベル作品を読んだ。
神に見捨てられ、人が死ななくなった世界を舞台とし、唯一蠢く死者を眠らせることができる”墓守”の少女を主人公としたファンタジー作品でかなりダークなのですが好みの作品です。
昔一度読んだことがあったのですが、作者の方が別作品で新刊を出されたとの事だったので、Kindleから引っ張り出して再読させていただきました。

いつまでも厨二臭くて自分でもなんだかな、と思うのですが、やっぱり私は死を扱う物語がとても好きです。……好きですというと少し語弊があるか。正確に言えば、好きというよりは求めていると言った方が近いかもしれない。『なぜ人は死ぬのか?』、『逆になぜ人は生まれたのか?』、『なぜ人は繁殖し続けないといけないのか?』、『死ぬのは嫌な事なのか?』、『嫌ではない死とはどんなものなんだろうか?』。
昔から抱えているこれらの疑問に関する答えを。それらを示唆してくれる物語を。

こんなことを考え始めたのは、多分小学生ぐらいの頃だ。本当のきっかけはさすがに覚えていないが、祖父が亡くなったりしたことや、当時見ていたTVの影響が大きいとは思う。子供向け番組があんまり好きじゃなくて、親と一緒に刑事ドラマを見たり、科学ドキュメンタリーを見たりしていた記憶がある。(おかげでNHK教育番組知識が一個もなく、前の職場であり得ないほどにいじられた。ぐ〜チョコランタンの見た目だけでも覚えていたのを褒めて欲しいぐらいなのに。名前分かんなくて毛虫みてぇな奴って言ったのは謝るから……)

特に印象的だったのは、いつか必ず地球や太陽系や宇宙が滅びるということが分かっているという事実でした。人が、つまり自分がずっと生きられないらしいことは薄々感じていて納得もしていたのですが、人類種全体の、宇宙そのものの滅びが確定しているというのは何事か、そう思いました。
そしていつかは全てが消え無価値になるという事実に恐怖したのと同時、どうして皆そんな必死になって結婚したり子供を産んだりするのだろうと疑問に思うようになりました。

でも社会ではそんなことは誰も気にしている様子はないし、むしろ気にしている奴はおかしな奴だという風潮すらある。学校の授業とは違って誰も答えを教えてはくれない。答えを見つける為には自分で探さないといけないが、現実で死に立ち会うことなんてほとんどない。だから創作に死にまつわる疑問の回答を求めるようになった。そんな気がします。

それから十数年、未だにその回答は得られていませんが、しつこく本は読み続けています。おかげで小説や漫画はもちろん、厄介なことに哲学書なんてものまで好きなってしまった。死生観には人間性が滲み出るとも言いますが、色々な人の考えた死の考えを知るのは純粋に面白いものです。

私が考えるに死にも生にも絶対的な意味はないんだと思います。あるのはそこに何という価値を与えるかという評価軸のみ。いつか滅亡することにはとりあえず目をつぶり、近い将来の子供たちに自分の遺伝子や考えることを是とするのも、芸術や信仰に殉じて一人で死ぬのも自由です。自分でそれに意味を見出せるのなら。

社会が規定する生の価値に疑問を感じてしまった以上、この先も私は死と生の意味を求めて創作を読み続け、価値を与える対象を自分で考え続けるしかない。この青き血の巡りの脈動が止まるまで。
今のところは、56歳で未来ある若者を庇って力尽きる的な死に方なら満足できるかなと思っています。なぜなら後でスピーチのネタにしてくれそうだから。自分が助けた若者が有名人になって「私がここまで来れたのは、あの時助けてくれた方のおかげです」とか言ってくれと思えば死んだ価値ありますよ。いい最終回だったとAmazonレビューで★5つけるね。


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