見出し画像

クソゲーで考える実の親という概念【日記:2023/3/19】

創作では時たま”実の親だと思っていた人が本当は血がつながっていなかった”みたいな展開があり、主人公なりがショックを受けるというシーンがあるのですが個人的にはピンときていません。
皆さんはどうでしょうか?

……急になんだと思われそうなので、念のため事情を説明しておきますと
今日動画を見ていたら、こんなシーンがあったので気になった次第です。

こちらは『建設重機喧嘩バトル ぶちギレ金剛』という、
建設会社の人間が建設重機でバトルをして、仕事を取り合うという良く分からないゲームの終盤のシーン。
主人公と敵対していた悪徳会社の社長が、主人公の実の父親でありそれを隠して争わせていた味方サイドの爺にキレるという場面です。

(👇詳細を知りたい方はこちらの動画をご視聴ください。からすまさんという有名なクソゲー実況者の方の動画で、編集とリアクションが凝っていてとても面白いです)

とまあ、経緯は意味不明なれど状況としてはかなりシリアス。
ただビジュアルを見ても分かる通り、実の父親の頭が🍙みたいな男は中々のクズで主人公の母親を強引に襲った結果、主人公が生まれたという始末。
正直、こんなのが父親だと言われても、より大嫌いになって反抗心が燃え滾るだけな気がするのですが、結構創作作品では血のつながりがあると急に親子の情を感じ始めるパターンが多いんですよね……

その点で言うと、実はこの主人公は違っていて、血のつながりうんぬんの問題ではなく、信頼していた爺が自分に嘘をついていたということに動揺をしていただけでした。
(ゲーム性)がクソゲーの割にはストーリーは結構ちゃんとしています。

まあそれはともかくとして、実の親という概念についてです。
そもそも”実”とは? 所詮血のつながりなんて血のつながりじゃねーの?
と個人的には思いますが、実際に直面した人物にとっては衝撃的らしい。
この問題の本質はいったいどこにあるんでしょうか……?
親しい人に嘘をつかれていたことなのか、(親にとって)実の子ではない⇒愛を持って育てる気がないと生物学的な思考回路なのか、不貞の子・妾の子ということへの世間的な恥ずかしさなのか、はたまた実の親を愛するべきという世間一般の価値観との衝突なのか……
体感したことのない私には正確には分からない感情ですが、なんとなくこんな感じな気がしています。

そんなことを考えていたら、ふと物語シリーズの登場人物「貝木泥舟」の
言葉を思い出しました。

(本物とそれと全く同じ区別のつかんような偽物とどっちの方が価値があると思う?)
(偽物の方が圧倒的に価値がある。
そこに本物になるという意思があるだけ、偽物の方が本物よりも本物だ。)

偽物語より引用/西尾維新著

私は割とこの論賛成派なので、例えば自分の両親と実は血が繋がってなかったということが判明したら、むしろ親のことをもっと好きになれそうです。
血繋がった子供を育てることは、ある種産んだことに対する責任の清算ですが、義理の子供はそうではない。だからこそ、より純粋な愛や心意気がそこにあるような気がして私は美しく感じます。
だから偽物・義理の家族というのもいいもんだと思いますよ。
だって、義理の妹とかめちゃくちゃ萌えじゃないですか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?