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基山瑣末の短編小説

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短編小説をまとめたよ。
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#芸術

【短編小説】臨淵

【短編小説】臨淵

 

1.

 大家が兄の遺品を引き取ってほしいというので、私はこのアパートに来ていた。
 兄は突然自ら命を絶った。一枚の絵を描き上げたあとに。遺品というのはその絵、即ち兄の遺作である。
 大家から鍵を受け取り、私は兄の部屋へ向かった。
 扉を開けた途端、私は思わず後ずさった。部屋の真ん中に、歪んだ蜘蛛のような黒い影が根を下ろしていた。全く実体を持つ影であった。キャンバスがイーゼルに立て掛けられて

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【短編小説】なんかの華、柑橘の香り

【短編小説】なんかの華、柑橘の香り

 私は芸術が嫌いである。
 机上の林檎を、これは知恵の実で、しかもそれが腐っているということは我々の知性の低下を暗に皮肉っている、とか言う。それに対し、林檎が知恵の実だというのは俗説で、旧約聖書にそんな記述はない、と口を挟む。林檎が林檎であることそのものを超えられはしないというのに。
 何かが何かの象徴であるとか隠喩であるとか暗示であるとか、そういったものは全て、空へ浮かぶ雲が何の形に見えるかを議

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