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《読書日記》啼かない鳥は空に溺れる 唯川恵

《あらすじ》

小さな頃から母親の精神的虐待を受け続けてきた千遥は、現在愛人の援助でセレブ暮らし。それでも時折かかってくる母からの電話に怯えている。父が亡くなってから、母と二人きり身を寄せ合うように暮らしてきた亜沙子は、次第にエスカレートしていく母の愛情に疑問を感じ始めていた。相対する関係性の中で紡がれていく母と娘の人生。やがて結婚をきっかけに、二組の母娘の関係は、音をたてて崩れ落ちていく。

《母親からの自立・問題を抱えた二組の母娘》

二組の母娘が登場し、それぞれの娘の視点で物語は進んでいく。千遥は母の元を離れ、自立したと思っているけれど、いつでも心のどこかで母の存在に怯える、〝本当は自立できていない〟女性だ。一方亜沙子は、自立というよりむしろ、〝母には私がいなくちゃいけない〟と思い込んでいる。しかし近頃の母の依存めいた行動に、違和感を覚え始めているのだ。

母親からの自立は、イコール、思い出からの自立、過去の自分からの自立だと思う。その時の罪悪感を振り払って、母親を〝捨てる〟ことが娘の役割の一つではないだろうか。母が作ったこれまでの自分と向き合い、今度は自分自身の手によって、新たな自分を作り出していく。母とは、自分を生んだ肉体であり、一番近しい同性で、絶対的な存在〝であった〟。彼女の様々な思想や言動に触れ、娘である自分自身が成り立っていた。それが突然、〝捨てるべきもの〟になるのだから、心細く、上手くやれないのは当たり前だろう。そこには様々な葛藤があり、それこそが〝娘〟から一人の〝女性〟となる儀式の一部分なのである。

《〝間違いのないように〟というエゴ・人生とは〝間違える〟モノ》

母は自分の生き方を娘に投影し、その経験をもとに〝間違いのないように〟娘を導こうとする。これを幼い頃からすりこまれていると、その考えにいつも支配されてしまうようになる。

人生というのは〝間違える〟モノだ。もちろん、間違えるとダメージはすごいし、様々な痛い思いをすることになる。しかし、その失敗によって得られるものは大きいし、失敗とは、人間ならば必ず経験しなければならない出来事だろう。そしてもちろん、どうやっても避けられるものではない。

母はこれまでの人生で、間違えることを経験している。それがどんなに痛いことで、苦しいことかを知っている。そしてそれがどんなに重要な経験かということも知っているはずなのに、愛情から、〝娘には絶対にこんな思いをさせたくない〟と思う。逆に、自分がやってみてうまくいったことや、人生を好転させたものは〝絶対に娘にとっても良いものだ〟と思ってしまう。難しいのは、それらは全て愛情からくる考え方だということだ。だからこそ、娘はその事実を敏感に感じ取り、それらを無下にしたり、断ったり、自分の意見を主張したりするときに、言いようのない罪悪感を覚えるのだろう。

《母親に認められたいという気持ち》

千遥がいつも母から認められたいと思うのはなぜか。母に依存しているからだろう。母の価値観が自分の全てになってしまっていて、彼女に認められることでしか自己肯定感を得られない。虐げられた後に買い物をしてしまうのは、単なる代替行為である。幼い頃から蔑ろにされ、それでも愛されたくて、その思い一つだけで生きてきた。〝愛されたい〟〝認められたい〟。しかし、大人になってからその気持ちを本当に満たしてくれるたった一人の存在は、自分自身だと思う。

《人生は難しすぎるよネ》

親に愛されながら、あるいは愛されたいと願いながら、たっぷりと彼らの価値観に影響を受けてすくすくと育ち、成人した途端急に人生という大海原にほっぽり出されて、〝これからは自分のことは自分自身で愛してね〟。とにかくずっとずっと愛されたくて一人ぼっちでこの世を彷徨っているのに、自分も他人も自分から愛さなければ、愛してくれる人は見つからない…。人生っていうのは難しすぎるよネ


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