社会的・時代的変化と社会とのかかわりと宗教

日本において、高度経済成長期を超え、社会の構造は大きく変化した。
例えば、読者の皆様においても大家族から核家族ないし、一人暮らしやDINKSなど、戦前から戦後の時代における「家族」「一族」「一門」「血縁」などという大きなくくりから、解放された人が多くいるだろう。
一方で、その結果それぞれの行動が個人の責任に紐づき、かつ自分以外を省みる必要がない時代へと変化してきた。
現代において、「家族」と聞いてだれを思い浮かべるであろうか?
一つには自分とその関係者との関係性によるものであろう。たとえば、親(実母実父・義母義父)や子(実子・養子・婚姻外婚姻内・連れ子)、夫や妻ないしパートナー、祖父母や孫、おじおば姪甥
もう一つは、生活を共にするものである一人暮らしをするとともに、いわるゆ家族とは別れて暮らすことで、家にいるもの=自分のみとなるため、家族という表現よりも「親」「兄弟・姉妹」はいるけどという表現になろう。
拡大した範囲としては、「一族」などというくくりもあるであろう。たとえば、本家や分家などがすべて正月やお盆などにいなかに集まって・・・などの場合であろう。この場合、「分家」の「何々さん」といった場合に、「姓」が同じであるため、関係性としては親戚の人と認識はしているものの、親からしても既に「はとこ」であった、など普段の生活ではかかわりがない、などが多くなってくる。
「一門」などになるとさらに広くなる。落語や漫才などの芸事の世界が一番耳にする場合があるが、一族のなかに「養子や婿養子など」の形で家や一族に対して合流してきたものを内包したものがわかりやすい。

このような題で家族と社会と宗教と時代変化をすべてあげたのには訳がある。時代変化による一種の「当たり前」「常識の変化」が「言葉」の指示していた意味合いを変化しているためである。

たとえば、現代における「家族」という言葉は現在30代以下の人にとってはほぼほぼ「親子兄弟」に集約されるであろう。しかし、これが50代になってくるとその「親」も含まれるため実質「祖父母・父母・子供」という3世代に当たる。こうなると、言葉の中で「家族」を指し示す意味合いが変化していることはわかるであろう。
さらに、現代では「大家族」と表現している「祖父母・父母・子供・父母の兄弟姉妹」なども含まれてきた場合にはさらに複雑化している。この場合「どの立場の人が家族」といったかで内容は変化するわけである。
これが、戦前戦中戦後などの年代になると、さらに複雑である。
というのも、戦前から戦中に関しては俗に言われる「家父長制度」の時代である。家父長制度の時代においては、様々な権限が家父長(女性の場合も当然あった)にあるものの、そこに「資産と権限と責任」を集結させていた。という点では、複雑怪奇でかつこの頃は「本家」「分家」の概念や「本家」を維持するための考え方なども当然あった。このような時代における家族と現在における家族の言葉が当然完全なイコールで結ばれることはないわけである。

そして、一方で社会全体の構造も当然時代に合って変化して生きている。明治大正昭和初期中期までであれば、「錦を飾る」のように「いなか」から出てきた若者が都会で学や実業を成功させ「いなか」へ凱旋するというストーリーも多くあった。その背景には、「地域(村・一族など)」いわゆる「社会」が地域で優秀であった人材をそのまま埋もれさせるのはもったいない、そして我々の中から素晴らしい人が出るぞ。という暗黙の了解を期待して、送り出したわけである。もちろん、金銭的に余裕がある場合、余裕がないままそれでもなおできる範囲で援助した、援助などなかった。様々あるものの、そういった背景が存在することがあった。
すなわち、社会と成功するためのレールに乗ったものの関係性が明確にあったわけである。
一方、現在においてはどうか?そのような事例がないとは言えないが「大学への進学や実業の成功のため」の行動はいわゆる「家族」ないし「個人」に起因し、それを共有するものではなくなった。そのため、現代においては「錦を飾る」という意識が社会とのつながりの変化とともに当然変わるわけである。

また、ここに宗教の話も上げてきたのには当然理由がある。
「宗教とは何か?」という問いに対しては、心の安定に必要なメカニズムである。以外に筆者には明確な回答というものを所有していない。神や超越存在がいるかどうか?ないし、信じるかどうか?についても、証明できず、かつ個人の思考思想であるため、それにどうこう言うものでもない。

しかし一方で、日本においては宗教というものは、個人によっては生活にねづいていると答える方もいるだろう。かたや宗教には何ら関係ないと答える方も当然いる。しかし一方で、必要性の有無についてはべつの話としてもある。宗教に何かを祈る時間があるなら少しでもあがけ。といわれることもあるだろう。
しかし、日本と諸外国において宗教とのかかわり方や意識の違いが大きいのはなぜであろうか?
ここに一つの思考法として可能性を示したい。

日本においてこの40年で急激に平均寿命は伸びた。
平均寿命が延びたことは喜ばしいことである、一方で「寿命」が延びるということは家族の死に触れることは少なくなった。また、家族・一族・親戚の死そのものの機会も減り、かつそれらの関係者との関係性も普段のかかわりが薄くなることで希薄化しているわけである。
すると、生と死という必ず逃れられない問題と向き合う機会が非常に少なくなる。
家族が弱っていく中で死を感じて、その中で何かできないか、できたのか。そういったことをその死と向き合う際には考えるわけであるが、一方でその際に後悔や無念など心のなかにとどまる悩みが生まれる。このような悩みの解消として宗教は一種の思考的回避方法を提案しているわけである。天国や浄土的発想もそうであるし、そもそも輪廻しないゆえに死とともに苦しむこともなくなるのである。という考えもまた、「死にゆくもの」がこれ以上苦しまないようになるよ、という筋道を提供していくれる。
病気や災害により家族親戚愛する人隣人様々な関係の人を失った人々が多くおり、そして、どのようなかたであろうとも自分の関係者を全く失ったことがない人というのは実はいないのである。
そのなかで、宗教の既存の必要性(全くないわけではないが、この場合は近親者の死と付随する事案)がこの30年は劇的に減少しており、相対的に宗教への触れる機会が少なくなった。
しかし一方で、高齢化した今の日本において孤独死という死の形とは別に近親者の死は劇的に増えてくる。その時の関係性が薄くなれば「悲しいね」となりつつも、そこまでの傷を負わないということは増えるであろうが、一方で「もう少し何かできたのでは」と考える機会は増えるであろう。そこに宗教のもつ重要性に再度目を向ける必要があると考えられる。

また、60年代から80年代は新興宗教の拡大期であったことは、多くの言説においても言われていることであり、就職とともに地元を離れ、地元以外で結婚し、遅延のないまま子育てを行うことで、人の手助けに期待できず心の不安定がおき、そこにアプローチした様々ないわゆる新興宗教が拡大したという話は当然の帰結であろう。その後の90年代においてもバブル崩壊からの終末説めいたオカルトとともに、そういう世界情勢の不安定さから気軽に救ってくれると公言するものへ期待し、責任と判断をゆだねることで個人の心が軽くなる点から拡大期であったともいえるであろう。

このような一種の新興宗教の拡大期とその停滞期に経済的な負担を掛けさせることで、信仰者(当人は信じているので幸せかもしれないが・・・)とその周辺では様々な被害が生まれたものである。
その反動もあり、現在の日本において宗教・信仰・信心というものへの危険物扱いが起きているのは、ある種社会的な流れとしては当然である。
また、偶然耳にした話であるが、アメリカでボランティアをする人がなぜボランティアをするのか?と聞いたら「キリスト教徒だからだ」という回答が多かった。という話がある、即ち宗教的な善行を積むためにボランティアをするということである。日本では、宗教的な救いのために善行を積むという宗教観はほぼ過去のものとなって久しいのである。
いっぽうで、結果として成された事実としてボランティアなどは自らとその周辺への慈善活動というものが関係する周辺をよりよくする、即ち社会貢献である。
そして、それぞれの周辺の関係性も希薄となり、つながりの薄く興味のないところに対して手や時間を費やすことは少ないであろう。
このような日本における過去を省みれば「お天道様が見ている」という一種の信仰が失われて久しい状態で社会貢献がなかなか盛り上がらない、と言われれば当然なのではないであろうか。

これからの多死時代の中で、機会が減っていた家族の死は増えていくであろう。それによる心理的なゆりかごを得ずにいた層のケアの問題はこれから急激に拡大するであろう。そのため、社会に対する不安や自暴自棄による事件の発生、心理的均衡を失った人が精神科や心療内科へかかることで医療費は拡大し、その社会的な救い上げを今後も行うのであれば、その社会保障はより重要となり結果として皆の生活を苦しめるようになる。また、公的サポートがあろうとも、それは労働力により金銭のやり取りを行うため、GDPなどにすべて換算され、「GDPはどんどん上昇し、税金はどんどん増え、公共である以上「明確な救い」は選られず息苦しい」という形に進むであろう。その時に、なってからどうにかするのは非常に大変である。






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