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娘のふるまい

わたしの娘は、7歳のときに壁に穴をあけている。
怒りをコントロールできず、壁を蹴り壊したのだ。

保育園の頃から、落ち着きのなさや機嫌の波がめだつようになり、また公園や花火大会などで迷子になることもしばしば。感情の爆発を繰り返すようになった。

夫と相談して療育センターに赴き、問診と知能検査により、自閉症スペクトラム(ASD)と診断された。子供の頃から夜泣きも激しく、診断を受けたことで、むしろ納得した。

気に入らないことがあると叫び嫌がり、爪を切ろうとしただけで、ベランダに飛び出して絶叫する。
それで近隣住民が虐待ではと通報して、警察官が大勢聴取に来た。虐待ではないと釈明書を書かされた。警察には2回通報され、迷子にもなったから常連さんだ。

ASDと付き合う日々

正直、なんでこうなるのか。親としてやるせない思いに苛まされることは、しょっちゅうある。自分には育児の能力が足りないんじゃないかと。子供にしても、度を越して率直。しかし、血を分けた娘。自分の心象を映す鏡だとも感じる。娘本人も生きづらい、苦しいのは、前提にあり、本人のペースを見て、支えるしかない。

小学校に入り、大好きな先生が産休になった2年生から不登校になった。仕事で長時間拘束されていた私より、主に旦那が奔走し、娘のケアが始まった。学校の養護教師や学校支援員さん、近隣の放課後デイサービスの指導者の皆さんに、あたたかなサポートをもらえるようになって、少しずつまた学校に戻れていた。

その矢先のコロナショック社会到来。
でも、それは悪いばかりではない。

小学生の親御さんは、みな、学習の遅れを心配している。しかし、うちは学習の遅れ以前に、社会生活に馴染むことがテーマだから、心配の次元が違う。

そもそもできる・できないを問うて人並みにすることを目標にしていたら、親子がお互い苦しい。だから、個性を見ていくしかない。コロナ休校のまま小3になり、ドッサリ出た宿題も、気が向くときは放課後デイで取り組み、それ以外は好きなゲームや漫画を楽しむ日々。

娘はわがままなのではなく、むしろ、学校に行ったら友達に気をつかい、優しくする事でぐったり疲れてしまう。だから家では構われることを求め、満たされないと暴れるのだ。

他者と比較しても我が子と家族の幸福にはならない。そして、絵や言語表現など、娘なりの突出した才能や感受性もある。在宅勤務でわたしが家にいることも、娘の心には安心の基盤になっている。

コロナ自粛が悪いことばかりでないと、同僚の井坂さんとオンラインで話し合ったことがあるが、娘と向き合うこともその一つなのだ。

#日記 #不登校 #ASD #個性を伸ばす

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