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スイスに行ってきます
お久しぶりです、ヒマラヤの氷河を研究しているディーンです。
タイトルの通り、今週末からスイスのチューリッヒに行きます。
むこうの研究所に半年ほど滞在して研究を進めてきます。
この記事では留学するに至った経緯、出発前の今思っていること、スイスでやりたいことなどをとりとめもなく書き連ねていきたいと思います。
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1, 【海外での研究滞在を思い立ったきっかけ】
「博士のうちに海外で研究滞在したいな~」と明確に思いはじめたのはD1の終わり頃(2019年度)でした。
その理由(モチベーション)は大きく分けて以下の3つ。
(1) 研究留学への漠然とした憧れと明確な必要性
(2) 圧倒的中だるみと成長率の鈍化
(3) 博論のデータ取得に目処が付き始めてきた
次の章から少し詳しく書いていきます。
1-(1), 研究留学への漠然とした憧れと明確な必要性
この(1)が研究留学にするに至った一番大きなモチベーションになります。
少し時は遡りますが、私の修士課程終盤頃から修論の研究がある程度まとまりはじめ、国際学会にも少しづつ参加させていただけるようになりました。
そして、そこで目の当たりにしたのは海外(特にアメリカ or 欧州)の同年代の博士学生やポスドクとの圧倒的な実力差でした。
※これは「日本と欧米の研究力の差」とかいう大仰なものではなく、単に自分と彼ら彼女らの比較です。
これに関しては自分の能力の低さにやや落ち込みつつも「すげー!かっけー!!」という幼稚で単純な感想が第一に湧いてきました。
また、自分の憧れている研究者やその愛弟子たちが、最先端の研究を元に今まさにその分野の新しい流れを作り出しているのだということを痛烈に実感しました。
聞いたこともない、論文になってすらいない(発表しているのでおそらく投稿済み)の研究の議論が目の前で繰り広げられるのは、非常に刺激的でモチベーションを強く掻き立てられました。
そして"いつの日か"自分もこの人達の中に入って研究をしてみたいと思うようになりました。
これが「漠然とした憧れ」の部分です。
また、国際学会で研究発表を聞いているうちに思うことがありました。
彼ら彼女らはもちろん研究能力はものすごく卓越しているのですが、「そもそも使っている元データが強すぎる」そして「多くの発表者が共同研究者として横で繋がっている」ということでした。
彼らは強力なデータを複数の研究グループで共有しつつ、それに加えて研究テーマでお互いに無用な競争が生じないように"棲み分け"のようなものが出来上がっているのを感じました。
これらの発表を見て、「研究を"大きく"していくには、ただただ日本で自分が頑張るだけでなく、このネットワークの中に自らも参入していかなければならない」と強く感じました。
そしてそれを手っ取り早く達成するには「実際にその研究グループに入るのがいちばんの近道じゃないか?」という超安直な解を私の貧しい思考回路がはじき出しました。
これが「必要性」の部分です。
1-(2), 圧倒的中だるみと成長率の鈍化
このモチベーションはあまりポジティブなものではないです。
文章として残すのも恥ずかしい部分ですが…正直に書きます。
私が修士後半から博士はじめの期間に研究室全体の人間が大きく入れ替わりました。
同期や先輩は卒業していき、後輩も新入生ばかりだったので周囲に気軽に研究のディスカッションをできる相手や雑談ができる相手がいなくなりつつありました。
※しかも後輩くんたちはあまり研究室に来ないタイプでした(^^)
もちろんラボの先生方はよく指導してくださったのですが、それでもラボで黙々とひとりで解析を進める時間が研究の大半を占めるようになりました。
ラボ所属三年目にして研究室や研究活動に(悪い意味で)慣れてしまい、日々の研究生活に緊張感や刺激はなく、解析や勉強の手は鈍り、徐々に"働かないおじさん"へと自分が進化(退化)していくのではないかという恐怖を日々感じていました。
そんな日々の中で…これは完全に甘えなのですが「一旦環境を変えなければマズイ」と強く思い始めました。
はい、そこのあなた。
「甘 え て ん な 自 力 で 頑 張 れ !!(怒)」
と思いましたね…それはごもっともです。
よくよく考えてみると、優秀な人はどんな環境でも頑張れると思うのです。モチベを高く保ちつつ、たとえたった一人でもパソコンとネットと少しの書籍さえあれば常に自分を成長させ続けるでしょう。
こういう人たちは素直に尊敬しますし、私もこうなりたいと思います。
しかし、元来怠け者である自分は一旦環境を変えてブーストをかけなければならないと強く感じました。上記のような"優秀な人"にはすぐにはなれないのです。
わたし(もしかしたらあなたも?)のような"亀の遅さとウサギの怠惰さを持ち合わせたハイブリッド人材"は「自らに努力を強制する努力」をすることが必要だと思うのです。
もちろん研究留学への大きなモチベーションは1-(1)に示したようなポジティブなものだったのですが、こういうネガティブな要素もあったということを記しておきます。
※この章は関係者に見られたら怒られそうですが、正直に書いたほうが同じように悩んでいる人への参考(反面教師含め)になるかと思い当時の考えをそのまま書きました。
1-(3), 博論のデータ取得に目処が付き始めてきた
私の研究対象は"アジアの山岳氷河変動"というもので、ものすごくざっくり説明すると「気候変動によって山の氷河がどのように縮小しているのか?」ということを明らかにする研究です。
この分野、研究手法は様々あるのですが、特に私が重要視しているプロセスが現地観測(=実際に現地を訪れてデータを取得すること)です。
これまでに複数回ヒマラヤ山脈やアルタイ山脈を訪れて測量を行ったり気象測器の設置やデータ回収を行ってきたりしました。
※標高高いです(5000m以上)。めっちゃ寒いです。しんどいです。
この現地観測というものは「調査期間のスケジュールを空けておいて当日ただ調査地に行けば良い」という単純なものでは有りません。
調査に出発する数ヶ月前から観測機器の準備・調査計画の調整・国内外様々な機関に対する許可申請・荷物のパッキングと国際便での発送…などなど、出発前にやることがものすごくたくさん有ります。(もちろん全て一人だけでやるわけではないですが)
感覚としては調査の半年前くらいから準備がだんだんスタートし、頭の中が現地観測のことでいっぱいになります。
この調査のデータは自分の博論に密接に関わってくるものなので準備にも手が抜けません。また、自由に動ける学生の自分しか対応できない仕事も多くあるので「ちょっと留学してくるから誰かワイの代わりに観測準備よろしく!でも調査だけは参加するわ!」というわけにはいきません。
特に私がD1のときはかなり忙しく、1年間で4度の海外調査(ネパール×3, モンゴル×1)を実施したため、「留学したいとか」考える余裕はまったくありませんでした...
しかし、D1の秋に約1.5ヶ月の大きな調査を終えてその年度の海外調査をすべて終えました。そしてこの調査により論文の軸となるデータが概ね取れたので、自分の博士課程のスケジュールを冷静に考える余裕が少しだけ生まれました。
このようなタイミングで、いや、というかまさに調査でヒマラヤから下山している最中に「あ〜そろそろ研究留学してぇな」という気持ちが強く湧き上がってきました。
※写真はそんなことを考えながら氷河上を歩いて下山する私。
とまぁこのような感じでD1終わりくらいに研究留学を目指し始めたのですが、博士課程中に留学したいならこの動き出しのタイミングはかなり遅いほうだと思います。
特に私のラボの場合は調査を目的とした海外滞在は多くあるものの、"研究留学"という形態の海外渡航をする学生は近年ほぼいないような研究室でした。
そのため情報収集もかなり苦戦し、心理的なハードルもかなり高いものだったと記憶しております。
もし研究留学を考えてる後輩の皆さんは早め早めに周囲に相談したり情報収集をしようね。
2, 【暗黒の2020年】
前章で述べたとおりD1終わり頃から明確に研究留学を意識し始め情報収集をはじめました。
そんなときに奴がやってきました。言うまでも有りませんね。
新型コロナウィルス感染症です。
4月の緊急事態宣言から私のラボがある研究棟は不要不急の立入が禁止になりました。
幸い私の研究はパソコンさえ手元にあれば進められる段階に入っていたので、様々な理由で研究活動が完全に停止してしまったような周囲の博士学生に比べれば大変幸運な状況だったと思います。
しかし、研究室のゼミはなくなり、学会や研究集会も延期になり、一人で自室や研究室にこもり解析をしている時間がさらに研究の大部分を占めるようになりました。
このような状況下で日に日に自分のメンタルが腐っていくのを感じました。
そして、「中だるみと成長率の鈍化」は自分の中でより重大な問題になりつつありました。
そして刻一刻と悪化しつつある世界情勢をニュースで見ながら、「あー、これは少なくとも博士のうちの海外は無理だな、まぁアンラッキーだけど仕方ないな」という考えにまとまりつつありました。
しかし...時間が経つにつれて、天の邪鬼な性格の自分は
「いや、今後の人生でも絶対こういうアンラッキーがあるので、行けるときに行っとかないと一生チャンスは回ってこないだろ」と思って逆に決心が固まり、教員へと相談することにしました。
※ コロナになってしまったせいで、この時点でまだ指導教員に海外に行きたい旨を相談できていない。
この時点で翌年に博論を控えたD2、しかも世界中が混乱した状況だったので「あかん」と言われることも覚悟していました。
※ 若干ビビって"留学予算の申請書を出します"というお伺いメールの送信ボタンを押すのにまる一日かかった。
しかし、指導教員や共同研究をしていたスイスの受入れ教員はすぐに快諾してくれました。
ここからついに、ようやく、研究留学に向けて本格始動という感じです(遅い!)。
3, 【海外挑戦プログラムへの申請、そして採択】
気持ちを入れ直して再起したものの、もちろん留学予算は誰かが出してくれるものではありません。自分で資金元をゲットする必要があります。
そこで自分の留学スタイルにはJSPSの「若手研究者海外挑戦プログラム」というものが最も適していると考えたので、この申請に力を注ぎました。
複数の方から申請書にフィードバックをもらい、一度目は不採用Bで敗退、しかし研究業績を追加した二度目の申請にてようやく採択されました。
この採択結果が来たのが今年の7月のことになります。
ちなみにこの申請書に関しては下記の記事にまとめたので、興味のある方は読んでみてください。
その時日本では未だに感染症のリバウンドが繰り返し起こっており、私もポスドク先を探しての就活中だったので、一瞬スイスに行くかどうか躊躇ったのですが(ここにきて躊躇うな)、すぐに「行きたい」という気持ちが強く心の底から湧き上がってきました。
また、日本やスイスの先生方やポスドクの先輩方は「行けるなら絶対行くべき!」と強く背中を押してくださいました。
そしてこの7月の採択から渡航予定の今月まで、滞在許可の準備やアパート探し、大学の休学手続きなどものすごくバタバタしたスケジュールとなりましたが、なんとかいちおうの出発準備が整ったのでこの記事を書いています。
4, 【渡航にあたって】
いよいよ渡航が迫ってきたのですが、ひとまず下記の3つを半年間の滞在での目標として設定したいと思います。
1, 博論のテーマで受入れ研究室とコラボして論文を一本書き上げる
2, 向こうの大学で開発されたモデルを使いこなせる人材になって日本に持ち帰る
3, "未来の共同研究者"をできる限り多く見つけてくる
繰り返し言うように私は怠惰で実力も足りない"亀ウサギハイブリッド人材"なので、向こうで心が折れないように先に公言しておこうと思います。
【おわりに】
実際スイスに滞在する期間は半年間と限られたものであり、日本の大学に籍を残したまま行く留学なので、場合によっては「イージーやんけ」と思われる方もいるかも知れません。
しかし、短期の海外滞在しか経験がない私にとっての、そしてここ最近続いていた「近所の飲食店に足を運ぶのすらはばかられる」という時期を乗り超えての海外渡航なので、人類にとっては小さな一歩でも一人の博士学生にとっては非常に大きな一歩です。(逆アームストロング船長)
滞在先の大学・研究所・研究グループは私の分野では世界トップレベルと言っても過言ではありません。
※ 実際に地球科学分野での大学ランキングは世界一位だし…
実力が足りずに打ちのめされることもあるでしょうが、そういったことも含めて多くのことを学んできたいです。
また、感染症に不安定な情勢下での渡航になりますが、そういう不安定さも含めて滞在を楽しみたいと思います。
今回の記事はここまで。
出発までに様々な面でサポートいただいた皆さんありがとうございました!
スイスからもnoteは更新しようと思うので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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