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『最後のジェダイ』から考えるディズニー買収の悪影響

ディズニーがフォックスの映画・TV部門買収を正式発表した。これでディズニーは、アバターシリーズやX-menシリーズ、テレビ番組「シンプソンズ」、「モダン・ファミリー」を手に入れることになる。

もちろん、存在感が増すAmazon、Netflixへの対抗策だろう。人気コンテンツを数多く持つことで、エンターテインメントプラットフォームとして対抗するつもりなのだと思う。

ただ業界の大統合は、映画愛好者にとって必ずしも良いことではないということを、2017年12月公開の『スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ』を観て感じた。その理由を書きたいと思う。

①ディズニーは1つの大きな企業であること

ディズニーは1つの企業であって、買収した企業はそこから独立した形で存在するわけではなく、その中にあるわけだ。そのため「傘下スタジオや映画会社の論理=ディズニーの論理」にならざるを得ない。

ディズニー作品では、最近「ポリティカル・コレクトネス」に配慮する傾向がある。2017年公開の『Beauty and The Beast』ではLGBTQ(ゲイ)のキャラクター(ル・フウ)が登場した。監督のビル・コンドンもその旨を公言しており、米Attitude誌のインタビューで下記のように回答をしている。

“LeFou is somebody who on one day wants to be Gaston and on another day wants to kiss Gaston,” Condon revealed. “He’s confused about what he wants. It’s somebody who’s just realizing that he has these feelings. And Josh makes something really subtle and delicious out of it.”
“That’s what has its payoff at the end, which I don’t want to give away,” Condon added. “But it is a nice, exclusively gay moment in a Disney movie.”

”ル・フウは、いつかガストンのようになりたいと思うと同時にいつか彼にキスをしたいと思っているんだ。彼はそれに困惑していて、ジョシュ(ル・フウを演じた俳優)はそれをうまく演じてくれた。最後には決着がつくんだけど、その内容は今言わないよ。
ただ(何にせよ言える事は)とても素晴らしいことだよね。ディスニーにとって初めて、ゲイが登場する瞬間だよ。”

これの発言は各地で波紋を呼び、ロシアの同性愛反対の議員が同国内での上映中止を求めたり、アメリカの一部の映画館では上映を取りやめたりしている。

スターウォーズ エピソード4『新たなる希望』が公開されたのは1977年(なんと40年前)。当然今とは違い、「ポリティカル・コレクトネス」の意識が希薄だったため、作中に登場する人間型の登場人物は白人ばかりである。

しかし2015年に公開された『フォースの覚醒』は違った。

主要な登場人物として、黒人のフィンがいる。

また『最後のジェダイ』はその傾向が顕著だった。フィンは引き続き、アジア人のローズ・ティコが活躍したり、レイア・オーガナ将軍の代役を務めた副提督アミリン・ホルドは女性だった。

配慮自体は否定しない。ただ1つ言いたい。少しあからさまやしすぎないか、と。元々のスターウォーズのイメージがあるのかもしれないが、違和感がある。

仮に「ポリティカル・コレクトネス」に配慮するのであれば、人間型の宇宙人ではなくて、様々な種族の宇宙人を登場させることで、それを表現できないだろうか。種族のごった煮感がスターウォーズの魅力ではなかったか。

ただ大企業傘下で例外は許されず(特にアメリカのような株主が強い資本主義社会においては)、組織の論理に従わざるを得ないのだろう。

②ディズニーは営利企業

ルーカスフィルムが営利企業ではないわけではないが、ディズニーはアメリカ資本主義の中心にいるような企業だ。

買ったからには、スターウォーズで儲けようとする。

エピソードとエピソードの間にはスピンオフ作品を作るし(ローグワンは良かった)、できる限り作品数を多くしようとする(先日、エピソード10~12の製作を発表した)。

確かに多くの作品を鑑賞できることは嬉しい。ファンであれば、公開されたら観るだろう。ただ、惰性で作ってほしくないのだ。過去の作品を否定するかのような、貶めるようなものにはして欲しくない。

エピソード8『最後のジェダイ』には、その危うさがあった。

ソープオペラであるスターウォーズの否定、フォースの解釈など、物語のロジックを大きく変えようとする姿勢が見られる。善悪二項対立、家族ドラマからの脱却したい意図が見て取れる。しかしエピソード6までに積みあがった壮大なストーリーの流れを変えることは容易ではない。

ルーカスフィルムのロジックの否定に躍起になってしまったがために脚本が荒くなってしまったのが『最後のジェダイ』であったように思える。

レイとカイロ・レンの心情の掘り下げが甘かったり、
レイとカイロ・レンのよくわからないやり取りだったり、
「ローズ・ティコいる?」ということだったり、
レジスタンスの無鉄砲さだったり。。

画が美しく、宇宙船バトルの迫力があれば良いというものではない。それはスターウォーズではない。

ジョージ・ルーカスは、ディズニーによる自身の会社の買収の際に下記のように語っている。

”自分は何よりも物語を重視して、父と息子、祖父と孫の問題、世代を越えて引き継がれるものについて描くつもりだった。スター・ウォーズは、結局のところ家族ドラマ(ソープオペラ)。スター・ウォーズはよくスペースオペラと言われるが、本質は家族の物語。ソープオペラであって、宇宙船がどうこうではない。しかし、ディズニーが求めたのは「ファンのための映画」だった。”

懐古主義だと言うつもりはないが、これだけの歴史がある古典とも言える作品を変えるのであれば、丁寧に、過去作品の敬意を持って作って欲しいと願うばかりである。

三部作の真ん中はどうしても「繋ぎ」になってしまう部分もあり、最終的な評価はエピソード9を観ないとなんともいえないところもある。粗さを次回作で帳消しにしてくれることに期待しつつ、2019年を待ちたいと思う。

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