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#25 日本サッカーの父。クラマーさんについて。その2

こんにちは。今回は「デットマール・クラマー。日本サッカー改革論」について感想文を。少し前に途中読み最中にnoteを書きました。良ければそちらも読んでみてください。

本書にはクラマーさんのサッカー人生についてや1960年代からの日本代表達の取り組みについて書かれていました。全てを伝えようとすると長くなりすぎます。
驚いたのが日本サッカーの父と言われるクラマーさんは日本への指導の後に西ドイツ代表のコーチとして関わったり、あのベッケンバウアーの師匠であったり、FIFAコーチとしていくつもの国への出向き講習会を行ったり、FCバイエルンでヨーロッパ王者の監督を務めたり、世界選抜代表監督を務めたり、、、 書ききれない程の実績と功績を持っていました。
密接な関係がなくなった後も、常に日本サッカーのことを気にかけてくれていました。「欧州王者になった時よりも1968年メキシコオリンピックで日本が銅メダルを獲得したことのが嬉しかった」それ程日本サッカーを愛し、育ててくれた人がいることをこれまで僕は知りませんでした。

1964年の東京オリンピックが終わった後のクラマーさんの日本サッカーへの5つの提言について。
1.国際試合の経験を重ねること
2.良いコーチを育てること
3.リーグ方式を採用すること
4.コーチ組織を確立すること
5芝生のグラウンドを維持すること

これらの提言を1964年に日本に向けて話しました。今から約60年程前のことです。
3.リーグ方式を採用すること。
この提言により当時の日本サッカーに関わる人たちは動きました。協会からの協力が少なく、費用も少ない彼らが必死でのちにJリーグとなる日本サッカーリーグを立ち上げました。この話を読み、クラマーさんが日本にきていなかったら?きっとリーグの設立はさらに遅くなり、近年の日本サッカーの成長はここまで大きくならなかったのではないでしょうか?
5つの提言のうち個人的には2.4の「良いコーチを育てること」「コーチ組織を確立すること」について1964年時点で既に提言していることに驚きます。これら2023年現時点でも日本サッカーが考えていく必要があることなのではないでしょう。特にグラスルーツの指導者についてです。

ここからは本書の中でも個人的に心に特に残った話だけ書きます。
・日本人の美徳が障害に
1968年メキシコオリンピックが終わった後日本代表チームは長い低迷期を迎える。次のオリンピック出場は1996年となり、初のW杯出場は1998年になってしまったのです。
なぜ?なのか。クラマーさんはこう評価した。
「指導陣は、もっともっと厳しくあるべきだった。チームを成功に導くためには、ときにはムチも使わねばならない。」
「日本人は世界でも珍しい文化と国民性を持っている。ていねいで、礼儀正しく、優しい、特に先輩・後輩の縦社会の地位がはっきりしていて、年長者に礼儀正しい。これらは美徳だと言っても良い。だが、それらが障害になっている。しかしどうしても厳しくならないといけない時がある。そういうときに日本人の監督は、おしなべて弱点を露呈してしまう。日本の監督は叱責すると選手がメンツを失うのではないかと心配するが、サッカーに関して叱責しているのであって、選手の人格を攻撃しているのではない。このはき違いを、よく指摘した。日本人にとっては、そこを割り切ることが非常に難しいと私は思う。」
これら作者中条さんが要約すると
「クラマーさんは「美徳」とか「礼儀」といった言葉を使っているが、要するに日本人社会の事なかれ主義、なあなあの馴れ合い、横並び社会を痛烈に批判している。」ということだ。
この問題は今もなお続いていると感じます。今は、日本人は「叱責」することはその人の全てに対して叱責したり、受け取り側も自分の全てを否定されているように感じやすいと思います。少なくとも僕はそうです。「「サッカー」について叱責してるのであって、「人格」を攻撃しているわけではない。」現在は厳しさが必要という理解が世間に広まりましたが、この割り切ることは未だにできていないと感じます。なので受け取る側も全てを否定されると思ってしまいます。先日もきちゼミにて「厳しさ」ってなによ?って話がありました。その時の話と似ています。
指導者は厳しくあれ。しかしはき違えてはいけない。サッカーとそれ以外のことは割り切って厳しくすべきだ。

・常に選手の手本となるように努力する
作者中条さんは2006年にクラマーさんにインタビューに向かいました。その時クラマーさんは81歳です。クラマーさんは「指導者は常に選手の手本となるべきだ。」と話します。これは人間としてはもちろんののと、サッカーの技術を選手にみせ手本となることも大切だと言うのです。80歳でサッカー指導についてはほとんど引退状態です。ドイツ南部で奥様とゆっくり過ごしていました。だけど「今でも日本に頼まれたら、教えに行くよ。お金はいらないよ。」と話すのです。そして口だけでは無く、先程話した「選手の手本となる。」を実践するために80歳になっても毎朝トレーニングを欠かさなかったそうです。住んでいた地域の冬は雪がすごくら毎年雪かきが必要な場所です。それをクラマーさんは「良いトレーニングになるんだ。」と話したそうです。この物凄くポジティブな考え方、そして「選手の手本となる。」ために一切妥協せずに努力すること。指導者として大切にしたい心構えを学びました。

本書を読みクラマーさんから学んだこと。そして日本サッカーの歩みを知ることが出来ました。先日もnoteに似たようなことを書いたんですが、新しいからいい。古いものは時代遅れだ。と考えてしまいがちだと思います。しかし過去を知らずして、今を語れるでしょうか。例えばこれまでの日本サッカーの歩みを知ったら、今ある様々な問題へ簡単に批判はできません。なぜこの問題があるのか少しわかるからです。そうすると解決に近づけるように考えられるような気がします。

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