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【祝*もうすぐ母の日】巨大ゴリラの夢


4、5歳くらいだったと記憶しているが、恐ろしい夢を見た。


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我が町にウルトラマン位の大きさの巨大ゴリラが現れ、大暴れしているのである。
人々は逃げ惑い、家の中に逃げ込んだ。逃げ遅れて巨大ゴリラにつかみ上げられ、もがいている人もいる。

その光景は幼い私にはとてつもない恐怖だった。

無我夢中で家の中に逃げ込むと、ゴリラはなぜか身長2メートルくらいになり(この辺子供の夢である)、我が家の扉を素手でガンガンたたき出した。小さくなったことで逆にリアルな恐怖を感じさせるゴリラにパニック状態になりながら、扉の内側で恐怖に震えて隠れていると、やがてゴリラは諦めて去って行った。



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巨大ゴリラのインパクトは絶大で私はその夢をずっと覚えていたのだが、小学生になった頃、何を思ったかノートにその夢の内容を書き記しておいたのだった。
誰に見せようと思ったわけでもなく、ただただ淡々と見たままを書き、私はそのノートをマイデスクの引き出しにしまっておいた。




話は変わるが、母の日が近いので母の話をしようと思う。


母については以前も書いたが、とにかくテキトーで能天気な人である。


私は見た目も性格も母に似ており、年を重ねるごとにどんどんそっくりになってきている。
写真の写り方とか、めがねをかけた時の顔とか、夫婦喧嘩した時の捨て台詞とか、とにかく似ている。というか同じだ。

だから、母のことを書くのは諸刃の剣なのである。
お前も一緒じゃん、となる危険性は高い。
でも母の日が近いから書く。



小学生の頃、私たちの学年で一冊の文集が作られた。
それは保護者(というかお母さん)が書いた文章をまとめた文集で、テーマは「我が子」。
生徒たちには内緒で保護者に作文を書いてもらい、文集にして全員に渡され
たのだ。

おー、いつのまにこんなものを――。
私はその文集を1ページ目から読み始めた。
それはとても素敵な文集だった。

noteでいうところの「#子どもの成長記録」とか「#子どもに教えられたこと」のような感じだろうか。



「子供の何気ない言葉にいつもハッとさせられます。」

「あんなに小さかった○○が、こんなに成長して思いやりのある子に育ってくれました。」

「□□□の成長には驚かされることばかり。一緒に成長していこうね。」



文集にはお母さんの子供に対する溢れる思いが綴られており、私は、へぇーあの子のお母さんがこんなことを思ってたんだ、と感動しながら読み進めていった。

さて、うちのお母さんは何を書いているんだろう…………。

興味津々でページをめくった私の目に飛び込んできた文章は、予想のはるか100億光年先を行くものだった。






「子供が見た夢です。」


そこには私が書いたあの巨大ゴリラの夢が、一言一句たがわず、そのまま母の字で書かれていた。
アレンジ、脚色一切なし、原作まんまの文章であった。


めんどくせーからこれ写しちゃえ。(母)


他のお母さんがあんなにすばらしい感動的な作文を書いているというのに、こともあろうにうちの母親は、作文を書くの嫌さに娘の引き出しからあのノートを探し出し、娘の文章をまんま提出してしまったのだ。


えー文集って何よ?めんどくさいし。
考えなくていいもの、テキトーに書いて出したいよね。
何かネタないかなー、って引き出し開けたらなんだこのノート!?
キングコングの夢!?笑
あははーおもしろい、そうだ、これ書いて出そう!
いいじゃんいいじゃん、テーマ我が子!(母)



わかるよ、その気持ちは。
私もnoteのネタ探すとき似たような気持ちになるし。





だが母よ…………………………………………。

一言いわせてくれ………………………………。






子供が見た夢です、じゃねーーーーよ!!!




はずかしすぎるだろーーーー!!!