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英会話に立ちはだかる巨大な壁


こんなご時世でめっきり少なくなってしまったが、以前は私の働いている売場によく外国から観光客が来ていたものだった。

外国人らしき客が売場に入ってくると、英語がまったく話せない私はちょっと緊張する。アジア系の外国人は割と日本語を話してくれる人が多くてほっとするのだが、完全に英語しか話さない外国人も多い。英語が話せる販売員がいればいいのだが、そうとも限らない。そんなときはお互いなんとかコミュニケーションをとろうとして、客との妙な連帯感が生まれる。
こちらが聞き取りやすいようにゆっくりと話してくれたり、筆談してくれたり。英和辞典を持参して、職人に漆器のことをいろいろ聞いていた一人旅の青年もいたなあ。
ぶどうの絵が描かれた塗り物のお皿を買ったアメリカ人の男性は、
「マイドーターへのお土産なんだー(英語)」
と嬉しそうに話していて、こちらまで嬉しくなった。こんなとき英語で、「お嬢様、きっとお喜びになるでしょうね!」
などと気の利いたことを言えたらどんなに素晴らしいだろう。
しかし、そのときの私はただひたすら笑い顔を作ってうなずくことしかできなかった。
そしてお土産の包みを嬉しそうに抱えた男性を
「どうもありがとうございました。」
とバリバリの日本語で見送ることしかできなかった。

これはいかがなものか。

私とて、相手が何を言っているかはなんとなくわかるし、

「メイアイヘルプユー?(棒読み)」

「ジャスタモーメント(棒読み)」

「ハバナイスデイ(棒読み)」

くらいのフレーズは知っている。
なのに、いざとなると使えないのはなぜなのか?
そこには乗り越えようとも乗り越えられない、巨大な壁が立ちはだかっていた。


初めて英語の授業を受けたのは中学生の時だ。

私が通っていた学校は英語に力を入れている、という名目で、英語の授業の時間を多くしていた。2年生になると週に1回、アメリカ人の先生が来て英会話の授業が行われた。
ニコニコと笑いながら手を差し出し、
「How are you?」
と目を見つめて問いかけてくる先生。しかし、中2の女子たちは照れ笑いを浮かべ、もじもじしながら、
「ファイン、センキュー(棒読み)」
というのが精一杯。
このころの英語の授業がその後役に立ったかというと、そんなことは全くなかった。

大人になった今思う。
英会話に必要なもの―――それはフレーズを覚えることでもなく、文法を学ぶことでもない。




ハリウッド俳優になるきれるメンタルを持つことだ!!



・オーバーリアクションで気持ちは常にタメ口。

・めちゃくちゃいい発音をすることに対する照れは禁物。

・「ワァオオ――!」「イェ―――!」「フ―――ゥ!!」などの感嘆詞を  テンション高く使うことができる。


これができれば文法などわからなくてもなんとかなる。
英会話の授業で必要なのは会話の練習ではない。
ハリウッド俳優になる練習なのだ。

「はい、リピートアフターミー、ワァオオ――!!
ワァオオ――!!
「もっとテンション上げて!ワァオオ――!!!
ワァオオ――!!!
「まだまだ照れがある!もう1回、ワァオオ――!!!
ワァオオ――!!!

中学生の時にこんな授業を受けていたら、きっと今頃何の照れもなくめちゃくちゃいい発音で英語を話せる人になっていたに違いない。


これをふまえて先ほどのぶどうのお皿を買っていった外国人と会話するなら……。

「マイドーターへのお土産なんだー(英語)

「ワァオオ――!リアリー?ユーはなんていいパパなんだ!ユーのドーター、大喜び間違いなしだぜ!(英語)

「すごくカワイイドーターなんだー(英語)

「おいおい、全くユーは世界一の幸せ者だな!ぜひまた日本に来てくれよな!(英語)

「サンキュー!(英語)

「サンキューべリマッチ!ハバナイストリップ!フ―――ゥ!(めちゃくちゃいい発音の英語)


接客業に就いている身としていかがなものかという気はするが、やはりこれくらいのメンタルで臨まないと英語は話せない。
今度外国人観光客が来たらハリウッド俳優になりきり、勇気を出してテンション高く英語を話してみたいものだ。