愚者は歴史を学ばないんじゃない、学べないのだ。

ビスマルクの格言には愚者は「経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というのがある。直訳だと「最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む」らしい。私は昔からこの言葉ははだはだ疑問だったし、自分で経験しないと学べない視点だってあるはずだと思っている。

歴史は学んでも(知ってても)、変えることはできない

例えば自転車の鍵を巡ってこんな話をしよう。

高級な自転車を買った。その自転車は10万円以上のとても高価なもの(自転車以外の高価なものでいい)。誰しも絶対盗まれたくないはずだ。もちろん鍵は付いてある。しかしこの付けてあるという鍵は手軽だが、壊されやすくて盗難されたというネットの書き込みがあった。親も注意してきて「あんたもっと頑丈な鍵の方がいいよ」と言ってきた。しかし頑丈な鍵になると一々手間もかかるし手軽な鍵より高かった。しかし切断されにくく、ちゃんとロックしとけば手軽な鍵より盗難されにくのも事実だ。結局自転車の鍵は手軽な方を選択した。ある日自転車を盗まれて事の重大さを知った。世の中高いものほど盗まれやすい。もっと頑丈な鍵をつけとけば良かった。この経験を元に自転車は毎日頑丈な鍵を使おうと思ったのである。

このように歴史をわかっていたとしても変えられない事が多いのではないだろうか。確かに鍵を頑丈な物を選択し、毎度の面倒な作業をちゃんと行えることは賢者かもしれない。しかし人間気を抜くものだ。その考えを改めさせるには失敗という経験しかないのだ。メタナイトが言ってたように「愚か者達は痛い思いをしなければ理解できない」かもしれない。しかしあなたや私は今すぐ自転車を今以上の頑丈な鍵に交換しようと思えるだろうか?私は思わない。被害に遭わない限り、私は今の手頃で安価な鍵を使い続けるだろう。これが愚者が歴史を学ばないではなく、学べない正体である。

どんなに調べても調べても、経験ほど物事を高度に学ぶ術はない

どんなに本を読んだって、いくら人から話を聞いたって学べない自分ならではの視点というのがある。じゃあ飲食店のバイトに例えよう。

「飲食店のバイトは恋愛に有利なのか?」

私は飲食店に二度バイトした事がある。飲食店で働く前 飲食店で働きたかった一番の理由は飲食店なら女性との人間関係が密になっていて、恋愛関係に成立しやすいと考えたからである。実際 飲食店で働く子は可愛い子が多いし、バイト先で彼氏ができたと言うのはよく聞く話だからバイトなら彼女ができやすいだろうと安易に考えていた。しかし現実は全くそうではなかった。実際働いてみたものの、若い女の子はホールという接客係として働いていて、人見知りな自分はキッチンという調理をしていた。キッチンには男かおばさんしかいない。それにホールの人間とキッチンの人間は全く関わる事はない。だからキッチンの自分がホールの女の子なんてとても恋愛関係なんて成立しなかったし、第一好みですらなかった。しかも一番バイトの中で可愛い子はバイトリーダーや先輩のさわやかイケメンな人と既に関係が出来ていて、モテない俺が女の子の前に出る幕なんてあるはずもなかった。こうして経験によって自分の考えがどんなに淡い期待だったのか思い知らされたのであった。もちろんそんな事も想像できない自分の想像力のなさもあったかもしれないが経験から学んだのは言うまでもない。しかも私は飲食店で働く前からネットや飲食店に関する小説や本を読んだり調べた。しかしそう言う記事は自分の求めてない情報がやたら多いし、逆に店長と恋仲になったとか、バイト先の先輩と付き合いましたとかあったり自分の淡い期待を誘うような記事ばかり見つめていて、(他者の経験)歴史だけ学ぶことは本当に良い事なのだろうかと思った。それに自分ならでは恋愛以外で、飲食店の闇の本質を知った。

私はネットや本で知れなかった飲食店の恋愛事情や飲食店の本質を見抜く事が出来たのか?それは他者と私の着眼的が違うからだ。飲食店で働く多くの人が飲食店で働く理由は、飲食店で働きたいという意思があったり、お金を稼ぐためだと思う。しかし飲食店で働きたかった当時の私は違かった。さっきも言ったが私が飲食店で働きたかった動機は飲食店で彼女が欲しかったことと飲食店ってどんなところかという社会勉強のためだった。他の働く人との着眼的が違うのだ。サークルに運動目的で入ったのと恋愛目的で入ったのじゃ着眼的が違うはずだ。だから他の人が書かなかった自分の本当の欲しい情報は自分で経験するしかないのだ。やっぱり自分の経験ほど、ネットや本で学んだ事より本質を見抜いたことは、政治の話以外ほとんどない。

なぜ人間は結局経験する事が一番の学びなのか?

それは五感を使って物事を学ぶからだ。経験を仕事に例えると、失敗したら怒られたり、手を使って働いたり、実際の目で確かめているからだ。これほど学ぶのに適した学習の術はない。確かに一番の理想は他者から学べばいいかもしれない。しかし私の言いたいことはいくら他者の話を聞いても自分の本当に欲しい情報が手に入らないし、要求してもないつまらない話をしてきたりする。だって他者の経験したことは自分の目的や着眼的が違うから、自分が本当に必要な知識が入らないのは当然だ。よって経験ほど多くのことを学べる事はないと私は思っている