独白【台本1】
「私の所属している部署は、私を含めて3人のパートと、2人の男性社員の合計5人でまわしている。
私以外の2人のパートさんは、お子さんがいるので時短勤務。私は、子供がいない。
9時から17時半まで働いている。
このチームに異動した時、妊活中だった。今いるパートさんのうちの1人が産休に入り、私は全く別の部署からここに異動となった。
それから10年。
2人のパートさんは交代して産休をとり、今はどちらも復帰して、誰も異動することは無く、今に至る。
10年前と比べると、随分と時代が変わって、不妊治療に理解が深まってきたと思う。ほんの少しだけれど社会が変わり、お子さんがいる方にだけでなく、不妊治療中の方にも優遇措置が取られるようになった。未来のためにとても良い兆しです。
美幸は古くからの友人で、半年に一度、街でランチをする。元々はもう1人、千恵美もいたのだけど、千恵美は2人の子供を育てていて、いつの間にやら誘っても来なくなってしまった。気が付いたら千恵美は3人のグループLINEから退会していて、私たちはブロックされていた。
美幸と2人でランチをしている時に、
『いいじゃん。沙織は一度妊娠してるでしょ』
と言われた事がある。
7年前だった。2人とも、そろそろ不妊治療を諦めようと考えていた時期。心身ともに疲れていた私達は、賑やかな店で、静かに語り合っていた。
私は、治療に入る前、一度妊娠している。けれど、上手く育ててあげる事が出来ず、流れてしまった。私はこの時、とても深く悲しんだ。とても、自分を責めた。
とても、とても悲しい思いをしたけれど、美幸は、それすらも羨ましいと言った。
一瞬の沈黙の後、美幸がアイスティーを啜る姿を見て、『そうかな』と言うと、『そうだよ』と言って、顔を背けるように窓の外を眺めた。美幸の目は涙が溢れそうになっていた。瞬きせず、行き交う人を睨むように見ていた。負けず嫌いの美幸の精一杯。
それ以上、何も言えなかった。
同じ悩みを持っていて、同じ道を歩んでいるはずなのに、ここにもまた、距離は生まれていた。
美幸の気持ちを察しようとしたけれど、分からなかった。
私の悲しみと、美幸の悲しみは、違う。
その日、ランチの後でカラオケに行った。熱唱した。久しぶりに思いっきり叫んだ。美幸も、私も。
職場では、細かいことは言えないけど、私にも立場があるので、なるべく波風立たせる事なく、続けていきたいと思っている。
一度だけパートさんの2人に
『仕事の手を止めて子供の話をするのはやめてくれませんか』
と伝えた事がある。悲しかった。こんな事を口にしなければいけないなんて。
どんな顔して、どんなトーンで言ったのか、覚えてない。なるべく悲壮感が出ないように、嫌味にならないように、言ったつもり。
『え。あ、ごめんなさい』
と言って、それきり、私の前では子供の話をすることはなくなった。でも、2人でよく席を外すようになった。
そう言う事じゃ無いぞ、、、ってね。
誰も彼女達に注意をしない。30分経っても、1時間経っても戻らない彼女たち。
私は、心を無にして、彼女たちの仕事を片付ける。
私も不妊治療中は、仕事を休む事があった。お互い様だと言い聞かせた。
弱き者の立場になるって簡単に言う人がいるけど、誰が弱き者であるのか、見極める事って出来るんだろうか。
争いを避け、戦えない人は、弱き者では無いんだろうか。
私は、戦わなかった。
私にも守りたい人がいる。
だから、歯を食いしばって耐えることに決めた。
そんな私は、強いの?
それとも、私はズルいの?
捻じ曲がっていく。胸の辺りにある塊。
眉間に皺を寄せ、不機嫌になる。
怖いと言って去る人たち。私だって、自分がこんな人間だとは思ってなかった。
想像する。あの人の髪の毛を引っ張って、頬っぺたを殴って、耳元で罵倒する自分を。
『あんたのその態度がホント腹立つ。上からもの言ってんじゃねえよ。散々優遇されておいて。挙げ句の果てに私が羨ましいだって?夫婦で稼いで、老後は2人で安泰だね だって?どう言うつもりで言ってんだよ。あんたのその勤務態度で、仕事を辞めさせられないだけでも有難いと思え!ウチの子がウチの子がってギャーギャーギャーギャーうるせんだよ!』
想像する。もう1人のあの人の耳を引っ張りながら、壁に頭を押し付けて、歯軋りしながら追い詰める。
『辞めろよ。そんなに子育てと仕事の両立が大変だって言うんなら、さっさと仕事辞めろ。ブランド物のバック持って、エステに通いながら、家計が大変でーとか言ってんじゃねぇぞこの野郎。気分転換に会社に来るなら、時間通りに出社しろや!』
『お前も!一緒になって子供の話で盛り上がってんじゃねぇ。お前が注意しないから、あの2人があんなふうになるんだろ。何とかしろよ。まずはお前が仕事しろよ。知らねぇよ。お前が子供の弁当作ってるとか。お前が授業参観に出なきゃいけないとか。治療中にお前に言われた事は、私、一生忘れられないから。絶対に、あの言葉だけは許さないから』
『そんでお前は何だ。いつも我関せずみたいな態度で黙々働いて。課長のくだらないジョークも軽く受け流して。嫌味なく、上手にその場をやり過ごす。何なんだよ。何考えてんだよ。何でそんなに穏やかなんだよ。今日も定時で帰るんか。綺麗に仕事片付けて、さっさと切り上げて定時で帰るのかよ』」
「父子家庭なんで、ウチ。子供をひとりぼっちにさせたくないから、出来るだけ早く家に帰りたいんです」
「え」
「嫁は、10年前に病気で」
「どうゆう事、、、?」
「あれ、僕に話しかけてきたんじゃないんですか。あ、そうか。そうだったんだ、なんか、すみません」
「私、何か言ってました?」
「いや、気にしないでください。僕の独り言です」
「でも、、、」
「あ、もうすぐ定時だ。乾さん、終われそうですか」
「はい、あと、少しで、、、」
「良かったですね。あ、チャイム鳴った。じゃあ僕、帰ります」
「お疲れ様でした」
「あ、その前に。少しだけ、僕の話を聴いてもらって良いですか。乾さん、僕、他人なんかどうでもいいんです。色んな人に支えられてきました。それはとても感謝しています。まあ、優しい人もいれば、厳しい人もいました。正直、キツイなぁって人もいました。いろんな人がいますよ。
心 だったんです。うちの嫁。育児に疲れちゃって。自ら。僕は今でも、ずっと、自分を責めてます。でも生きるしかない。息子がいますからね。息子がいてくれるから。、、、
何が言いたいんでしょうね、僕」
「どうして、、、」
「生きる理由」
「生きる理由?」
「他人は他人、です。では、お先に失礼します」
「はい、、、」
チャイムが鳴る。
「あ、チャイムが鳴った。乾さん、帰れそうですか?そうですか、良かったですね。じゃあ僕、お先に失礼します」
「は、はい、お疲れ様でした」
「子供が待ってるんで。父子家庭なんです、ウチ。いつもさっさと帰ってしまってすみません」
「は、はい、、、」
「では」
「酒井さん。いつも、仕事を手伝っていただいて、ありがとうございます」
「出来ることしかしてませんから。それに僕だってよく乾さんに仕事手伝ってもらってますし。お互い様です。失礼します」
「お疲れ様でした」
「課長、お先に失礼します」
「うん、お疲れ。あ、乾さんさあ、今日残れる?」
「何ですか」
「なんか、疲れちゃってさあ。ちょっと話聞いてくれる?」
「帰ります」
「ああぁ、そうなんだ。冷たいなぁ」
「すみません。ご飯作らなくちゃいけないので」
「そうだよね。いいなぁ、乾さんは。ウチの嫁なんて飯作ってくれないんだよ」
「お子さんが小さくて大変だからじゃないですか」
「そうなのかなぁ。俺、結婚相手間違えちゃったかなぁ。聞いてよ、昨日なんかさぁ、、、」
「すみません。私も、お先に失礼します」
「冷たいなぁ。はぁ、、、。帰りたくないよ、、、。誰か聞いてくれないかなぁ、俺の苦労話。本当にさぁ、ウチの嫁ってばさぁ、、、」
ゆっくり暗転
おわり