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【読書記】ひとが決定的に損なわれてしまうということについて(心臓を貫かれて)

マイケル・ギルモアの『心臓を貫かれて』を読んだ。訳を担当しているのは村上春樹氏である。

私がこの本を読んだのはそれが理由だ。つまり、手に取った理由として、村上春樹に連なるものであるというところに所以する。


一言で感想を言うなら、めちゃくちゃすごい本だった。


非常に真摯なノンフィクションで、まさに大作というよりない。骨太すぎて常に内臓が軋む。メンタルボロボロの時に読むことはオススメしないが、色んな人に読んで欲しいと思っているので、久々にこれを書いている。いやあ、すごい本だった。


本書は、殺人犯ゲイリー・ギルモアと、その家族についての物語である。

村上春樹氏の言葉を借りるなら「無意味で不必要な殺人」を犯したゲイリーは、2人の人間を殺した罪で、アメリカのユタにおいて裁かれた。

殺人犯をめぐるノンフィクションはおそらく世に溢れているが、この物語は事件をめぐる詳細を解きほぐすことが主題ではない。これはたぶん家族の話だ。

犯行を犯したゲイリーのことを私はしらなかったが、彼は、アメリカにおける死刑復活の第一号として有名になった人物だった。(もちろん死刑は執行された。その事実は確定しており、これはその事件の是非をめぐる物語ではない)

作者はゲイリーの実弟であるマイケルであるが、前述したようにこの物語は事件の詳細について綴るものではない。

事件のおこるずっとまえーー時に彼自身が存在するよりまえの、父や母自身も含めた家族のなりたち、そして自分より先に生まれた兄たちのたどった境遇について綴った、「家族」についてのノンフィクションである。


この作品は物語られることによって、決して癒えることのない穴を確認する、という意味で、ノンフィクションというよりずっと、物語と称して差し支えがない。

ノンフィクションをそれなりの数読んできたが、マイケルの俯瞰した視点の持ちようと、家族たちへの冷静な人間理解に裏付けられた筆致、そして時に家族としての苦悩に満ちた語り口は、物語の語り手として常に適切な距離感を保っており、素晴らしかった。

かつ、彼自身がこれを物語り、解きほぐすことを切に望んでいることが、読んでいるものにひしひしと伝わってきた。真摯さの理由はそれだろう。彼が彼の全存在を賭けて、これを語っていることが強く伝わってきた。


ゲイリーの犯した殺人について。

或いは、それ以前に行われてきた、精神の殺人について。

それは家族の中で行われてきた。マイケルはそのことを語っている。人と人との間で、家族という名の下に行われてきたそれを、マイケルは冷静に、しずかに語っている。

人を痛めつけ続けることは、実のところ、非日常ではない。

家族の中で、あらゆる人と人との関係のなかで、それは起こりうる。ゲイリーは常にその中にあり、彼は刑務所の中でもそれを目の当たりにしてきた。22年間彼は刑務所で過ごした。

逃れられない暴力と、権威による冒涜。ゲイリーはそれに絶えず反発し、そしてその繰り返しから逃れる方法として死をえらんだ。


私がこの本から得たのは、たぶん教訓というようなものではない。ある意味では負の連鎖のどうしようもない連続性に、ただうちのめされてしまっただけだった。そして、作中兄のフランクも語っているが、ひとは決定的に損なわれ、恐怖と残虐を味わうことで、人間性を根本から変えられてしまう、ということがあり、そのことにただ、打ちのめされただけだった。

損なわれてしまった人は、その暗い場所から、最早自力で這い上がることはできない。

本人の良識や魂の力でどうにかできるレベルを超えてしまうほど、ひとは損なわれることがあるのだ。傷つき、恐れ、そして、その穴から出ることができなくなってしまう。

私は家族の物語からそれを読み取り、それが多分真実であることに打ちのめされる。

私は暴力と恐怖を締め出して生活できているだけで、いつでもその犠牲になりえるし、その加害者にもなれることを、この物語は教えている。



終盤、死刑執行前のゲイリーの最期の言葉がマイケルによって語られる。

丹念に綴られてきた家族の物語を読んできた読者の私もまた、マイケル同様、ゲイリーの言葉に戦慄する。

「いつもそこには父親なるものがいる(There will always be a farther.)」

家族からも、血の繋がりからも、痛みからも、傷からも、逃れることはできない。いや、逃げることはできる。逃げてもいいのだ。だが、逃げたふりをするだけでは、その穴から完全に逃れたことにはならない。

穴はいつでも私の人生の隣で口を開けている。傷はいつでもそこにある。


この本は、傷を癒したり穴を埋める物語ではない。穴は埋まらない。

だが、ともかく家族を持つ人のすべてに、この本を読んでもらえればと思っている。

多くの人々がこのコロナ禍で家庭というコミュニティーにつよく拘束されている今。

家族とは決して、牧歌的なものではないのだから。


心臓を貫かれて

https://www.amazon.co.jp/心臓を貫かれて%E3%80%88上〉-文春文庫-マイケル-ギルモア/dp/4167309904




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