君に優しくなるために

 葉の繁る樹から糸を落として、尺取り虫が風に泳ぐ。そこへ蜂が滑空し、彼を牙と脚で掴んで去った。初夏、摂氏28度、快晴。6月4日。
 私がまだ0歳だった頃、大量虐殺の事実さえ未だ中国自国民に隠されている天安門事件が収束したあの日から30余年。さらに遡るならば、沖縄戦の終わりも6月だった。太宰治が玉川上水に浮いていたのも6月。

 死について考え始めたのは、だいたい18歳くらいだった。
 生きることについて考え始めたのは、だいたい30歳くらいだった。

 世界のすべてに絶望しながらでも、夜の月を、そこへ響く静かな音どもを愛している。朝の雲を、そのもとを歩いている人間を愛している。
 誰かを求めずにはいられず、だからこうして文章を創っている。作り笑いの練習もしている。作り笑いは決して嘘の笑いでは無い。人を求める心に誠実であるためにそうしているからだ。この文章には確かに虚飾がある。けれど偽ってはいない。あなたの心に触れるための、そのための言葉を創っている。

 文章芸術の才能はおそらく人並みにはあると思う。とはいえ落書きが少し上手い程度で、様々な小説を読んでみると、決してあんな場所には到達できないことが分かる。それでも私はあなたに今、この文章を読んでもらえると信じている。
 道端に落ちている片方だけの靴。車に轢かれてしまったであろう猫の欠片。電線にそぞろ並び鳴いている小鳥達。馴染みの店の玄関先に新しく、綺麗な花の咲く植木鉢。日々のそれぞれの気づきの内で、ついなんとなく眺めてしまう、それらすべての今と過去。
 そのようにあろうとして、書いている。

 死について考え始めたのは、だいたい18歳くらいだった。
 生きることについて考え始めたのは、だいたい30歳くらいだった。

「死とは何か」
 養老孟司曰く「死は無い」のだそうです。私もこれに納得で、科学的に、脳内の電気信号が止まるまで人は死んでいないし、けれどそれが停止するまで意識があるわけでも無い。自覚が無ければそれば無いものと同じであり、つまり死は無い。
 意識の境界とはどこか? ラマ・チャンドラン博士によると、たとえば医師が重度の痴呆患者として扱う病人がいたとして、その手足の動かない病人は脳内では虹色の景色を眺めて全身で躍動している可能性もある。

 宮沢賢治の作品を読んでいると、流転の思考がとてもよく解ります。
 博物学者でもあった賢治は日蓮系仏教にも傾倒していて、科学と宗教を明確に結びつけた作家の代表でもあります。とはいえ、仏教はすべての悲しみを消してくれるわけではないし、悲しみが消えた人間なんて、人に優しくなれない。
 たとえば『永訣の朝』という小さな詩があります。賢治の妹が死んでしまう様子を描いたもので、けれどそれは異様な美しさを湛えています。肉親の死への嘆きをどうしても詩にしなければ 言葉にしなければ おそらく生きていけなかった。けれどその時の彼には当然ながら心に妹がいた。嘆きだけのものには出来ない。だってあの子がいつか読むかもしれない。どうすれば良いのか?
 宮沢賢治の全身全霊、人を想う命懸けの文章芸術が『永訣の朝』には表現されています。

 朝の陽が溢れる公園。夕暮れの風が流れていく帰り道の商店街。気まぐれで訪れた知らない街の、思いがけず朗らかな小川。夜明け前、偶然に駅前で会ってしまった昔の恋人。その懐かしい笑顔。

 私はまだ、もう少しくらい生きているつもりです。
 この世界の美しさを私は知っていて、それをあなたにも伝えたいと想っているから。
 たくさんの喧嘩をしてきたけれど、たくさんの理解者もいたし、たくさんの優しさも貰えた。もし何か理不尽なことをされたら怒ってみると良い。きっと誰かが支えてくれる。
 そうして、もし誰かが理不尽なことに遭遇していたら、その人をそっと支えてあげよう。
 私達が存在している今この場所は、素晴らしいことに溢れていて、とりあえず今は…

 とりあえず今は、一緒に生きてみませんか?

 そうかい?
 ありがとう。

 私はまだ、もう少しくらい生きているつもりです。
 君に優しくなるために。

 

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