連続怪獣小説『大怪獣アイラ』#9
鹿児島県姶良市
case:和尚さん
カンパチの刺身を紫蘇でくるんだりして噛みながら、それを芋焼酎で流し込む。そんなようなことをひねもす繰り返すような、いわゆる”なまぐさ坊主”としてずぅっと暮らしている。
私は確かにお寺の和尚さんではあるけれど、昨今の財政難で人件費もまかなえないし、そもそも仏教を信頼していない。
知るほどに思い知る。
いったい仏教によって救える命と、それ以外のイデオロギーによって救える命、どちらが多いだろう?
命は金で濁らない。命は思想で濁らない。
困窮によって濁るのだ。
例えば潤沢な金、潤沢な歴史に基く思想信条。
これらがあれば、少なくとも人間一匹の百年くらい、ごくあたりまえにそこへ幸福を補填できる。
「在る」ことで困窮はしない。在りすぎるなんてことはありえない。
足りないからこそ「在る」ことに戸惑う。その違和感へ抗おうとして、無闇に「在る」を削ってしまう。
欲望を失った人間には、猿が考えていることすら解らない。
× × × × ×
とある夜、境内から下弦の月を眺めていたら「そろそろ良いか」と直感して、寺の敷地内にある公衆便所へ梱包用のビニール紐を持っていき、男子トイレの個室ドアノブに引っかけて輪っかを作った。
首を通して、座り込み、結び目を締めてみる。
最初は呼吸が苦しいような気がした。だんだん視界が白く霞んでいく。身体機能が停止するより先に、脳が酸素欠乏によってまずシステムダウンする、という感じ。だから外傷性の死よりは苦しくないのかな、いや、これから本格的に窒息するんだろうか? なんてことを、薄い意識のままに理屈っぽく考えていた。
するとそこへ「おっしょさん!」という声が聴こえた。誰だか知らない、こどものような、やわらかい声。その声の主はどうやら近くの消火栓まで走って行き、非常用の斧を持って戻ってきて、私の脳天へ向けて振り下ろした。
ビニール紐は斧で切断され、その人物の小さな足で便所の床に蹴り倒されて私は、首に巻かれた紐をほどいてもらった。
「おっしょさん、じゃましないほうがよかった?」
「……なんだろね、眠れなくてさ」
これが、あいらくんとの初めての会話。
近所に住んでいるほんの小さな女の子であり、そうして私の初めての命の恩人だった。釈迦牟尼仏でも雪山童子でもその他もろもろのどうでもいい如来どもでもない、私の初めての、命の恩人だった。
ようやく私はその夜に、この世に産まれた。
× × × × ×
世間的にはすでに、昨今の巨大生物騒ぎは姶良(あいら)市のこの寺から始まったと噂されている。宝物殿の大爆発によって私は左耳を失ったけれど、まぁそれはいいとして、あの”種”を巡るネット上の論争になった決定的な理由としては幾つかある。
まずひとつは、爆発事件の当事者であるあいらくんがSNSに投稿した「宝物殿の種と爆発事件・巨大生物発生の関連性」についての問い掛け。いったい何がおきたのかわかる人がいたら教えてほしい、という全世界へ向けての、具体的状況説明を含めた発信だった。
これに答えた1200万人ほどの返信のうち、実際らしいものとしてマスコミがメディアで取り上げたものはオカルトじみた20件だけ。
私も数百万件を何日も徹夜で流し読んだけれど、ピックアップできた信頼できそうな意見はたったの3件だった。
ひとつは東京・八王子の津島あゆみという高校生のDM。
もうひとつは、米国防総省アドバイザー「にのまえ」という差出人からの『通信を使うな警戒しろ』という封書。
さらにひとつは、その手紙が来た翌日の「バチカンから来ました」という喪服の方々の訪問だった。
バチカンからの使節団13名は全員が眉毛の無い女性であり、境内の焼けた床をタワシで磨いていたら、気づくと後ろに立っていた。
「あいらと話したいのだけれど、危害は加えないので、だいじょうぶ だいじょうぶ。守りたいだけ。あなたもよ。おっしょさん」
イエス様が日本に残したふたつの植物の種子。
そのひとつが先日、この寺を爆破して失踪し、今は『大怪獣アイラ』として日本を駆け巡っている。もちろんバチカンも様々な文献を洗い直し、この事実に気づいているのだろう。彼らは今、『大怪獣アイラ』といっしょくたにイエス様に繋がるもうひとつの種を奪還しようとしている。
まぁ、それは当然のこととして、
「おっしょさん? そんな可愛らしい呼び方をしてくれるのは、この世界でひとりだけのはずなんだけどねぇ」
するとひとりがこう言った。
「だって、ずっと見てきたんですよ、おっしょさん。
あなたが産まれてから今日までのこと、ぜんぶ見ていました。
日本人のこと、すべて知っています。
1億4000万人のこと、すべて知っています。
危害はくわえません。 あなたたちは私達のこどものようなもの。
それがバチカンの意思です」
……つづく
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