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将来の話

 僕は現在映像作品をメインで活動しており、noteの記事も映像作品に関するものが多くなっています。そのため「将来的に映像関連の仕事をしたい人 」だと思われるかもしれません。ですが、実際は違います。将来的には漫画をメインの活動にしていきたいと思っています。

幼少期の将来の夢

 実のところ、物心ついた時の将来の夢は「漫画家になる事」でした。きっかけは、幼稚園〜小学校低学年ぐらいに観た「鋼の錬金術師」のアニメを見たことでした。当時は、内容は全く覚えていませんでしたが「こういうカッコいいストーリーが作りたい」と思ったのは覚えています。思うに、僕の創作の原点はそこにあると思います。

 先日実家に帰省した時、小学2年時の学級文集が出てきましたが、そこにも将来の夢の欄に「モノマネ マンガか」の文字が書いてありました。(モノマネ、というのは当時お笑い芸人にも憧れていたので)

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意志が固まったのは中3の時

 中学2年まで将来の夢はコロコロ変わっていて、昆虫学者だったり、自衛官だったり、画家だったり、検察官だったりしたのですが、高校進学の時に「やはり自分はマンガ家になりたいんだ」と思いました。

 中学の時、自分は自由帳に漫画を描いてクラスで回したりしていたのですが、同じように漫画を描いている同級生がいました。ある時彼と比較されて「アイツならともかくお前に漫画家は無理だろう」と言われました。僕は「出来ない」と言われると「やってやる」と思うタチなので、「絶対に漫画家になる」と思いました。

 そして、高校は美術コースのある高校に進学しました。

高校の時

 高校に入ると、美術系という事もあり、自分の周りにはクリエイティブな人間が沢山いる環境になりました。当然漫画家を目指している人間も何人かいました。が、僕が特に意識していたのはアニメーター志望のクラスメイトで、既に卓越したデッサン力を持っている、ある男でした。

 僕は彼に対抗意識を持っていたので、度々「一月にクロッキー帳を何冊埋められるか」など勝負を仕掛けていました。

 そんな彼が、高校3年の時、なんと特撮を作り始めたのです。ここからは「ヤゴン」の時に触れた話ですが、特撮好きの別の友人(現在僕の作品制作を手伝ってくれている彼)と共同で制作をしていました。

 アニメーター志望の彼は、庵野秀明氏がかつて作った特撮作品にも影響を受けており、自分も特撮を作りたい、と思ったようです。「ヤゴン」の記事でも触れた事なので細かい経緯は省きますが、これによって僕の眠っていた「特撮作りたい欲」が覚醒する事になります。

受験期〜大学1年の時は漫画を描いていた

   しかし、すぐに特撮を作ろうという気運にはなりませんでした。仲間を集めるのが難しかったり、環境が整えられなかったからです。そこで僕は、受験期〜大学1年にかけては本来の目的である漫画制作を行なっていました。受験期は色々大変でしたが、どうにか時間を作って漫画を描いていました。

大学は結局美大へ

 高校卒業後の進路に関しては、最初は進学せずに公務員として就職して漫画を描いていこうと思ったり、また大学に行くとしても、美大に合格するほどの力は無いだろうから一般大でいいや、と考えていました。

 が、むしろ今の自分の技術や教養では、美術の授業から離れてプロを目指したところで、到底専門的な教養のある人間には及ばないと思いました。そこで、やはり専門的な授業のある時代に進学する事にしました。

 苦労はしたものの、なんとか第一志望の美大に現役合格する事ができました。

大学1年の時、初持ち込み

 そして、大学1年の10月ごろ、ちゃんとペンで描いた漫画としては初めての、1本の漫画が完成しました。ページ数は84ページでした。こちらは、実際4社の編集社に持ち込みに行ったものです。

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結果として、実は4社目で名刺をいただき、本当に一時期ですが「担当がついた」形にはなっていました。が、それからその方が大物漫画家の担当につき(担当編集というのは複数の担当になる事があり、大物を抱えると見込みの薄い人から切られたりします)、一方的に音信不通になってしまったので、繋がりが絶たれることになります。

成り行きで映像の方面へ

 上記の出来事があり、ガッカリしたのは確かですが、別に漫画家になりたいという気持ちが薄れたわけではありませんでした。

 が、それよりも「映像を作りたい!」と強烈に思う出来事があったので、(ヤゴンの時に触れた、大学2年の時の出来事)成り行きで気持ちがそちらに遷移していきました。

 よく「漫画描きになりたいのに何故映像を作っているのか?」と聞かれます。当然の質問なのですが、毎回答え方に困ります。が、結局のところ「今は映像を作りたいから」という回答をします。

 また「漫画家になりたいからずっと漫画を描いている」人は沢山いると思いますが、「漫画家になりたいけど映像を作っている」人間はそんなにいないんじゃないか、と思っています。

 僕は、他人とは違ったストーリー・演出をつけるには、如何に他人とは違った経験をしているか。が重要だと思っています。なので、僕が王道ルートから逸れて映像制作という寄り道をしているのも、最終的に漫画制作に役立つと考えています。「全ての道は漫画に通ず」というのが僕の自論です。

映像作品はあと3作品しか作りません

     そんな経緯から、現在は映像メインで活動している訳ですが、最終的には漫画をメインに活動していきたいと考えているので、映像作品は今作っている「ジャガラ」を含め、あと3作品を作って一旦足を洗うつもりでいます。

「漫画家」になりたいか、というと微妙

 ここに来てこんな事を書くと「は?」と思われると思いますが、実際のところ「職業として漫画家になりたいか」というと微妙です。

 もちろん、最初はそのつもりでしたが、高校、大学を経て様々な人との交流や経験をしてきた結果「多くの人に自分の描いた漫画を見てもらうこと」と「漫画を仕事にする」ことは必ずしもイコールではないのでは。と思うようになりました。

 一昔前ならば、「漫画を見てもらいたい→漫画家になりたい→編集者に持ち込み・投稿→認められてデビュー」という一本道だと思いますが、今の時代は必ずしもそうではないと思います。

 特に近頃よく目にするのは「最初はTwitterで漫画を無料公開していた人が、多くの人の目に留まり、最終的に書籍化・アニメ化する」というパターンです。しかも、それは段々レアケースでも無くなって来ているように感じます。自分の身近な人間にもそういう人がいるというのもありますが。つまり、昔よりも漫画で活動していく道が増えており、間口が広がっていると感じます。

 また、自分の中で「好きな事を仕事にする」という感覚が実はしっくりこなくて、「生活をするためのお金を稼ぐ手段」と「自分の作品を広く世間に発表する手段」は別で良いのではないか?と考えております。

 現実的には時間の制約などもありますが、少なくとも今現在は「仕事」と「作品制作」を両立できているので、この延長でもどうにかなるのではないか。と考えている節もあります。(厳密にいうと、今の仕事も絵で稼いでいる仕事なのですが)

 もちろん、最終的に自分の作った作品が世間に認められ、それだけで食べていけるようになるのが理想です。ですが、現時点ではそれを目指す為に大きなリスクを犯す必要はないと考えています。今後世間の動きなどでどう変化していくかは分かりませんが、今の僕はそう考えています。

まとめ

 僕が将来的には漫画で活動したいけど映像を作っている理由はそんな感じです。僕は今の選択が間違っているとはまだ思いませんし、進路を振り返っても計画から大きく外れてはいないので、将来的な目標達成への希望はまだまだあると思っています。

 今後も、目の前の目標から着実に達成していき、大きな目標達成に向けて精進したいと考えます。

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