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反例は優れた論証の友

 今回の記事は、下記の記事を参考にして書かれました。

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 「反例」と聞くと、マイナスのイメージを喚起するかもしれない。だって、反例はあなたが苦慮して編み出した一般化を否定するのだから。

 しかし、“自分で” “早い段階で” 反例を用いることができれば、反例はあなたの一般化に磨きをかけ、さらにはあなたの論証に磨きをかけるのだ。

 「日本では再生可能エネルギーが普及している。その証拠に太陽光発電や水力発電は全国各地で見られる」。

 上記の例は、太陽光や水力といった広く用いられている再生可能エネルギーだけを例示して「日本では再生可能エネルギーが普及している」ことを論証しようとしている。

 しかし再生可能エネルギーの例は他にもある。しかも「それほど普及していない再生可能エネルギー」の例がある。地熱、波力、バイオマスなどだ。

 つまり、「反例」があるのだ。

 反例が存在しているということは、上記の「日本では再生可能エネルギーが普及している」の一般化は、少ないサンプルによって一般化し過ぎていたのである。

 この時点で、一般化を調整する必要が生じる。

 「再生可能エネルギーが……」という一般化の形で「“全ての” 再生可能エネルギー」を主語とするのではなく、たとえば「”様々な形態の” 再生可能エネルギーが……」と一般化する方がよい。

 そうすることで、再生可能エネルギー全般は必ずしも普及しているわけではないという余地を残すことで、一部に限界や改善の余地があることを認めながらも、再生可能エネルギーが普及していることを論じることができる。

 地熱や波力やバイオマスなど「それほど普及していない再生可能エネルギー」についても考慮に入れて、広い視野を確保した上で、再生可能エネルギーについて偏見・先入観なく論じているということを他者に明白に示すことができる。

 また、予想される反論に自分であらかじめ答えておくことで、相手からの反論を予防するという利点もここにはある。

 何を論じようとしていても、「全ての~が○○である」と一般化し過ぎてはならない。というより、論じる目的にもよるが、そこまでしなくても目的を達成できるという場合は案外多い。

 なので、一般化し過ぎるくらいなら、一部に限界や改善の余地があることを認めるような一般化をする方が格段に良い。そうすることにより、自分の論を磨き上げることができ、相手からの反論も予防できるのだから。

 “自分で” “早い段階で” 反例を用いることは、論証を公にする前に自らの一般化と論証をブラッシュアップするという目的、特定の偏見や先入観に凝り固まらずにしっかりと反例を検討した上で説得力のある論証を展開していることを示すという目的、(反例を用いた)反論の芽をあらかじめ摘み取っておくという目的などに適うのだ。

 なお、今まで「反例」について述べていたが、「反論」についても同じことが言える。

 “自分で” “早い段階で”、反論を自分の論証に適用することは、反例の場合と同じく、上記の目的に適う。

 他人の主張を評価するときもまた、反論や反例を考えてみよう。私もあなたも相手も同じ議論のルールの下にあるので、自分の論にも他人の論にも同じように反例や反論を考えてみよう。






 

 

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