#2456 多様なことはいいことか
多様性についての議論色々されてますよね。
理解されない少数派の苦悩についても度々耳にします。
そんな中で、ふと思ったのですが、「みんな違ってみんないい」って言葉に代表されるように、人それぞれに違いがあってこそ、自分とは何で、どういう存在、どんな強みや弱みがあると理解してこそ、幸せなのか。
それとも、みんな同じような考え、見た目の方が人は悩まなくて幸せなのか。
みんな同じというのは現実的ではないのかもしれませんが、、あくまで仮想でも、多様性という言葉が存在しない方が人は幸せなのか、違いがあるからこそ幸せなのか。
どっちだと思いますか?極端すぎる質問ですみません。
#1
「多様性」という言葉が注目を集めているためにその意義が強調されていますが、昔から個性と呼ばれるものは存在します。ただ極論として社会的な地位を得て救われた人がいる以上、「多様性」という言葉が存在した方が総体的に幸せな人は多いと考えます。
自分の個性について悩むまでは周囲と同じであることを必要以上に意識することもないのではないでしょうか。皆がそれぞれに全く違う価値観を持つとまとまるものもまとまらなくなるので、類似する価値観はいつまでも残っていて欲しいとは思いますが。
#2
私は良いことだと思います。もちろん公共の福祉に反しない範囲で、ですが。
歴史が進むにつれて、個人の選択の幅は増えていますし、殊更多様性と言わなくても、戦後から平成までは時代の激動に合わせて勝手に選択肢が増えていったように思います。今まではそもそも抑制的であった、というのも理由の一つでしょうけど。
ただ、今後は意識的に認めていかなければならないことが多いような気がします。
社会が成熟したしきって、価値観をひっくり返すような大変革は起きないでしょうから、マイノリティを意識的に拾い上げ、公共の福祉に反しない範囲で、生きやすい世の中にしていくべきだと思います。
また、高度経済成長から作り上げられたジェンダーバイアスも取り払って、男はこうあるべき、女はこうあるべきということからも解放される世の中にしていってほしいですね。
何にも後ろめたく思うことも、後ろ指さされることも、気負うこともなく自分の選びたい選択肢を取れる社会はこれ以後は放って置いてもできないと考えます。
意識的に作っていくぞ、という確固たる意志を込めて、多様性という言葉があってもいいと考えます。
ただ、仮想として、皆の価値観が同一というか、大きな塊の中に収まっている状態は軋轢も生まずに、幸せかもしれませんね。
その状態に疑問を持たない状態ですからね。
もしかしたら、多様性の理想の形はそこなのかもしれません。行き着く先と言いますか。
そこまで精神性が成長し切ったら、次なる社会はどうなっていくのでしょう。
停滞した社会なのか、また新たなブレイクスルーが起きるのか。
#3
幸せかどうかはとても主観的なことだと思います。多様性という言葉がここ数年で多用されるようになていますが、日本という国は古来から宗教、文化的にも無意識のレベルで多様性が黙認されてきた奇異な国です。幸せを感じられるか解像度を上げるためには比較できる対象の知識や教養も必要になってくると思ってます。
#4
>>1 >>2 >>3
コメントありがとうございます。
多様性という言葉は理念や意志の確立、また目指すべき方向性のためにもあった方が人は幸せになれそうですね。
同時に類似する価値観が存在して欲しいという思い。私もそう思います。
多様性・多様化と叫ばれる今日の社会で、人類(日本人でも)類似する価値観って何がありますかね
歴史が進むにつれて個人の選択肢が増えて自然と多様化していく。 なるほどです。その上で、それらを意識的に認めていく必要がありますね。
公共の福祉と多様性の両立在るべき形はそこだけど難しさがありそうですよね。。。
やっぱり類似する価値観の存在というか疑問を持たない状態というのは楽で幸せそうですよね。仰る通り、そんな世界になってもまた、新たな価値観誕生しそうな予感がします笑
日本は宗教・文化的にも無意識に多様性が黙認された国である。言われてみればそうなのかもしれませんね。なるほどです。
世界の中で日本は多様性が認められていないと聞くことも多いですが、日本社会で認められる多様性とそうでないのがあるってことなんですかね、、
ある人がアメリカなどは人種のるつぼと言われるように、元々いろんな人がいる国だから自然と多様性と向き合う必要があったが、日本はほとんど同じような人がいる国だから、あえて違いを探して、「多様性」を叫ばせるようにしていると仰っていました。欧米諸国の「多様性」をそのまま日本に持ってきて当てはめてもうまくいかないと。
皆さんはこれに関してどう思いますか?
誰が言ってたとか忘れてしまいました。すみません。。
#12
多様性があるのも、違いが全くないのも、どちらからも幸せは見いだせると、私は思います。
ただ、違いが全くない場合、出来ないことは増えたりするとは思います。
例えばみんなが同じ考えであればそれ以上の新しい価値観は生まれないのではないかと思います。
ですがそういったものが生まれないイコール幸せではないとは言えないとも思います。
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