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私と家族と「死ね」

死ね

ナ行五段活用の動詞「死ぬ」の命令形
し・ぬ【死ぬ】
[動ナ五][文][ナ四・ナ変]《古くはナ行変格活用。室町時代ころからナ行四段活用が見られるようになり、江戸時代には二つの活用が並存。明治以降はナ行四段(五段)活用が一般的になったが、なお「死ぬる」「死ぬれ(ば)」などナ行変格活用が用いられることもある》1 命がなくなる。息が絶える。また、自ら命を断つ。「交通事故で―・ぬ」「世をはかなんで―・ぬ」「―・ぬか生きるかの大問題」「―・ぬほどの苦しみ」「―・んでも言えない」⇔生きる。2 そのもの本来の力や働きが果たされなかったり、うまく利用されなかったりする状態になる。活用されなくなる。「―・んだ金」3 そのものがもっている生命感や価値がなくなる。生き生きしたところが失われる。生気がなくなる。「陳列する場所を誤るとせっかくの絵も―・んでしまう」「目が―・んでいる」4 動きなどがなくなる。やむ。「風が―・ぬ」5 囲碁で、敵の石に囲まれて取られる。⇔生きる。6 野球で、アウトになる。「一塁で―・ぬ」⇔生きる。[可能] しねる[補説] 「死ぬ」の語尾は、完了の助動詞「ぬ」と同じなので、死んでしまうというのが原義。したがって平安時代までは助動詞「ぬ」は「死ぬ」に付くことがなかった。

出会い

「死ね」っていつ出会うんだろ…。映画のセリフとかかな、でもリアルで聞いたり言われたりは中学生になってからかも。中学くらいからいきなり流行り出すんですよね、死ね。

私と「死ね」

中学で急に流行り始めた「死ね」。同級生達が気軽に使っているのを見て私は絶対言わないことを決めていた。死ねなんて言ってはいけないことだと思って。

なのに、私は1回も発していないのにある日父親に言われてしまった。歯磨きをめんどくさがる私に父親が「死ね!死ね!」と言ったのだ。今まで私にクズとかゴミ以下とか言ってきた父だから言う可能性は0ではなかった。でも本当に言うとは。その場では「こいつヤベー」くらいだったのに無視して自分の部屋に戻ったらダメージが時間差で来た。こんなやつに育てられるとは何という屈辱。ショックというより悔しさの津波が来た。

少しして母親が部屋に入ってきて慰められるのかと思えばまさかの「本気で言ったわけじゃないから許してあげて」だった。その瞬間悔しさの津波は激しさを増した。私はこんなやつから生まれたのか。

もちろん両親とはいい思い出もある。いろんなところに連れて行ってもらったし、いい趣味も教えてもらった。でもその全てを「死ね」と「本気で言ったわけじゃないから許してあげて」が上回ってしまった。きっと両親は私にとってずっと「自分に死ねって言った人」なのだ。



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