日記(2023/9/19)

 夜を心底歓迎できるような、暮れる太陽に底から照らされるような夕方は、早起きできた朝と同じくらい最高だよ、と思いながら帰る。秋だからか空がぐーっと引き伸ばされたように広くて、背筋も伸びる。伸びた分、目線が高くなったので尚更、ぐんぐん伸びていく空の果てに意識が飛んでいった。雲をたずさえて、空はぴんと張りつめたまま伸びていく。しなりながら、地平線を越えたあたりで朝と夜とを切り替えたり、それでも相変わらず、むしろ勢いを少しずつ増しながら惑星を塗りかえるように遥かに伸びていく。ばちっ、とその先が見えなくなり、想像に追いつけなくなった意識が、伸びきってしまった輪ゴムさながらここへ戻ってきた。地球が丸いことを思いながら歩くと、自然と推進力が出てきて足どりも軽くなってお得だ。気分はベッドのシーツを張り替えたときの凛とした気持ちよさとも似ている。
 こんなに機嫌がいいのは秋晴れの夕日が気持ちいいだけじゃなくて、東京に住んでいる短歌の友だち(ライバル)と札幌で楽しい時間をたくさん過ごせたのが嬉しかったからだ。帰ってしまうのは寂しいんだけど、またしばらく経てば会えるし、いつだって話せるし、楽しかったという事実の方が大きい。この一週間、東京から来た友だちは札幌の道路や空の広さを何度も褒めていて、そのたびに、俺も札幌のそういうところがずっと前から好きだからうれしくて、一緒になって褒めた。
 札幌の空が広いという話になると、ずいぶん前に詠んだ<札幌の空は広くてごく稀に海原として機能すること>という一首を思いだす。札幌は海がないから、隣の小樽か苫小牧まで電車で行かないといけなくて、心がざぶんと飛び込みたがってるときには不便で、そんなとき、広くなった空が海の代わりをしてくれるのはありがたいなって思ったから詠んだ。今の自分は作らないような短歌だけど、まっすぐ加減が妙に心に残っているのか、それこそ海のなかから顔をだすように度々ぽっかりと心に浮かび上がってくる。気に入ってる短歌のひとつかも。こうやって言葉が見えないトンネルのように過去や未来や想像もできない場所につながって、合流した意味や実感がぐるぐる動いていくのはやっぱり面白い。少しずつ暗くなってきた道をずんずん帰る。さっきの空も、さっきの感情もまたどこかで繋がるんだろう。最近、自分の世界の心臓を握っている実感がある。

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