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全部、妖怪のせい

同僚と妖怪の話をした。
仕事で出会う妖怪の話。
ときに取引先の担当者に、ときに同僚に、とり憑いている妖怪の話。

たとえば、妖怪ひとこと多い婆
円滑なコミュニケーションが必要とされる場で、常に的確に相手のやる気をごっそり根こそぎ削ぎ取るひとことを躊躇いなく発する妙齢の女性は、この妖怪にとり憑かれている、とわたしはおもっている。

たとえば、妖怪不寛容婆
ちょっとした環境の変化すら頑として受け容れようとしない、変化を無視して周囲を無視して自分のやり方だけを死守して物事を押し進める妙齢の女性はこの妖怪にとり憑かれている、とわたしはおもっている。

たとえば、妖怪年齢差別婆
若い子ちゃんにやたら高圧的に接し、なにかというと年齢を持ち出し、年齢を言い訳にする年齢に支配された思考の持ち主はこの妖怪にとり憑かれている、とわたしはおもっている。

女のひとが社会に出て働くことは、今の時代、たぶんそんなに大変なことじゃない。
ただ、女のひとが働き続けていくことは、たぶん、私や多くの男のひとが想像するよりずっとずっと大変なことなのだろう。
今の職場のいろんなひとをみているとそう、強く感じる。

私は飲み会や早朝深夜休日勤務も自由に私だけの都合で引き受けられる環境にあるから気の向くままに働いていられる。
でも、働き出してある程度年月が過ぎて、結婚していたりしていなかったり、子どもがいたりいなかったりする女のひとたちはどうも気の向くままに働くだけではいられないらしい。
サラリーマンとして、妻として、母親として…「こうでなければ」というそのひとのなかにある価値観が、そのひとがみる社会一般に蔓延するつまらない価値観に呼応して
…こういう言い方は突き放すようで良くないのかもしれないけど…
さらに強化されたつまらない価値観に雁字搦めになって、最善を尽くそうと誰からも必要とされていない努力を続け、困憊している女のひとが多いように思う。

みんな真面目過ぎるのよ。

そして、そんなふうにして困憊してしまった心に、妖怪はとり憑く。

同僚と気をつけようね、と言い合った。
最後のひと言はいったんのみ込んで、投げられた言葉はひとまず受け容れて、若い子ちゃんにもリスペクトをもって接しよう、と。

妖怪にとり憑かれたそのひとは、単純にやなひとではなく、どこにでもいる普通のひとで、どこかで無理をして、困憊して、誰かにわかって欲しくて、味方が欲しくて、もがいている。

願わくば、彼女らがもっと自由にもっと身勝手に軽率に生きられるこの世界に気づきますように。

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