旅をなぞる旅はどうだろうか

音読した時に流れるようなリズムで読めるテンポの良い文章が書ける人って、絶対的に頭の出来が優れている。
数々の修羅場をくぐり抜けた「文章の旅人」なんだろうなと思う。
その域に達するにはどのくらい険しい旅が待ち受けているのだろう。

凡人であるボクにも何人か日本語の師匠と呼べる人間がいる。
少年時代の師匠は、誰もが知っているであろう文豪の最後の弟子。
だからボクはアンオフィシャルながら「孫弟子」にあたるわけだ。
かっちょいいネ!
言うのはタダだ。

もう一人、青年期の師匠はビジネス界の大御所だった人。この人からはお堅いビジネス文章(ビジネス文書ではない)を教わった。
そんな堅い文章を好む老害もめっきり減ってしまった世の中なので、いまとなっては活躍の出番がない無用の芸当でしかない。

今思えば、少年時代に叩き込まれた「美しい日本語」ってのが芯の部分に残ってしまっているので、自分のことは棚に上げてレシピサイトの「たられば」の使い方に腹を立てたり、メッセージやメールに句読点がないことにイラっときたりする変なパーソナリティとなってしまった。
まったく恨むぜ!先生!(もちろん感謝の言葉)

「習うより慣れろ」じゃないけど、彼の指導方針は「全文書き写し」だった。
これがその後のボクの人生に影響を及ぼしたのは前述のとおり間違いない。
(校則違反がバレた連中は罰として「山月記100回!」とかやらされていたからボクの比じゃないくらい日本語にセンシティブな面倒マンになっていることだろうな)

もう、こうなってくると「旅」にしても丸々誰かの旅行記をなぞるという行為をして「真髄を知る」という経験を一度くらいしてみてもいいんじゃないだろうか。という気分にすらなってくる。
毎回やるのはちょっと違うと思うけどね。

「なんとか航海記」みたいのは読んでも真似できないので、好きなエッセイストの作品でも読み直してみようかな?なんて、ちょっとドキドキしはじめている。
嵐山光三郎か泉麻人か。
そろそろ実家の本棚も覗きに行きたい。


GIO.

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