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なぜ休学をしたのか

私は大学三回生の6月から約一年間(厳密には9ヶ月)休学をして、人生におけるフリーの時間を作った。今回はなぜ休学に至ったか、休学中に行った事を記載しながら答えたいと思う。

休学の最も大きな理由に、人生を謳歌する上で最も大切なタイミングである大学一年生の際に、コロナウイルスの影響を受けて、大学二年生の秋学期までまともな大学生活を送ることができなかったことが挙げられる。本来であれば、サークルに入って先輩後輩に揉まれ、友達を増やし、文句を言いながらでも授業を受ける為に1限から学校に通っていたはずが、全く不可能な現実を突きつけられたのだ。
私自身、特段大きな目標や人生設計は無かったのだが、普通の大学生活を送ることができない事で、自分が進むべき人生はこれでいいのか?という疑問を持つようになった。

今思えば、ある意味で今一度自分を振り返るきっかけをもらったのだと思う。

大学2年生の頃だったと思う。
私は自分の人生を考える上で、「お金持ちになってみたらどうなるのか?」と考えてみた。人生にお金は切っても切れない関係であるし、お金があることで今後の人生の設計図が大きく変わると考えていたからだった。
人生で使い切ることができない位のお金持ちになった時、自分はどのような人生を歩みたいのか。3日3晩真剣に考えたのだが、はっきりとした答えを得る事ができなかった。
これだけ真剣に考えてでない答えならば、自分では解決できない問題と思い、周りの友人や知人に「お金持ちになったら何をしたいのか?」を問うてみることにした。(貯金に回すなどのお金を使わない解答は無し)

結果は面白く、聞いた数十人の97%ぐらいの確率で一言目に「旅行をしたい」という答えが返ってきた。
これは私と同年代だけで無く、私の両親と同じ年齢層の人々に聞いた答えも含んでいて、多くの人々が年齢に関係無く「お金があれば世界中を回りたい」と考えるのか・・と思ったのだった。

多額のお金を得た際、なぜほとんどの人は旅行を求めるのだろう。
実際数百億円のような莫大なお金がなくても旅行はできるし、極端にお金を使わない旅行で良いならば、ヒッチハイクや野宿など様々な手段を使ってお金を使わない旅行を行う事は可能だ。
もし旅行に一回も行ったことがないという人だったとしても(そもそもこのような人を見つける事が難しいと思うが)人生数年数十年も生きていれば、旅行の一回や二回は絶対にしているはずだし、その親や周りの影響で旅行というものに触れているはず。
日本に生きている以上、まず間違い無く義務教育を理由に「修学旅行」という名目で旅行しているはずだ。
このように、極端なお金を必要とせずとも現実的に可能な「旅行」になぜ人々は魅了されるのか。
お金持ちになった際に旅行を求める理由を自分なりに考えた結果、私の結論としては「旅先での贅沢な暮らしや、海外旅行といったそもそも旅費の最低ラインが高額な旅行に行きたいと考えるから」だと考えた。

私は上記を踏まえた上で、「貧乏でも世界中を旅行する手段はないのか?」という考えが浮かんだ。
多くの人が求める、それだけキラキラしたものを今の私でも捕まえる方法はないのか?と考えたのだった。
本来であれば「お金持ちになって自由に旅行できる人生を送ろう!」「そのために勉強をして仕事を頑張ろう」となるところを、あまのじゃくな性格も影響して、逆の「お金がない今の自分がお金持ちと同じ人生を歩めないのか?」という考えに至った。

そこで世界中を旅行する為に必要な出費を考えた結果、どうしても削ることができない費用があることに気づいた。それは「宿泊費」である。
交通費・食費・移動費など、様々な費用は削れるものの、世界中を旅行するということは治安が悪い国に行くことを踏まえる必要があり、自分の命を守るという意味でも宿泊場所を確保する必要は絶対に必要なのだ。

ここで私が考えついたのは「世界中に友達を作れば、宿泊費用を払うこと無く生活できる」という案だった。友達の家に泊まれば食費も浮くだろうし、車を出して貰えれば移動費も浮くだろうし、極論飛行機代のみで世界中を回ることができるのではないかと考えたのだった。

私は早速ある一人の男友達を頼った。彼は高校からの同級生で同じ大学のキャンパスに通う友達であり、グローバル系の学部に通っている。
グローバル系の友達は他にもいたのだが、彼を頼った一番の要因に、この学部が特殊なグローバル学部である事・私と同じキャンパスなので会う機会が必然的に多くなるという理由があった。
彼の学部の特徴として、国際経営などのただ国際的な視点をもつ学部などではなく、全ての授業や課題が英語で行われ、ほとんどの生徒が海外にルーツを持っているような学部であった。
海外に実家がある+将来的に海外に住む可能性が高い+全員が英語を話せる+日本語を話せるという特徴を持つこの学部生と仲良くなることで、「世界中に友達を作る」作戦の第一歩を踏み出そうと考えたのだ。
私がちょうど大学2回生後半から3回生の頃だったが、この交流は作戦を叶える以外で、私にとって非常に大きな価値を得ることになった。
具体的には、「友達が増える+英語を勉強する機会を作る事ができる+世界中の様々な価値観や考え方を知る事ができる」ことがもっとも私の学びになった。
男女平等に知り合いを増やし、今では学校で話すこともあれば、プライベートで遊びに行く仲になる事ができ、人生をより豊かにする事が出来ている。

彼らと友達関係を構築し、海外の友達のノリや感覚をつかんだ上で、大学3年生が終わり4年生が始まる6月のタイミングで休学する事にした。本来であれば学期が始まる前のタイミングに休学を決めようと思っていたのだが、休学申請は意外に時間が必要だと言うことを理解しておらず時間がかかってしまった。休学をする大学生はこの点に注意してほしい。

休学した後、友達の家に泊まらせて貰いながら海外を体験する事ができた。実際に行ったのはアメリカのLA・韓国のソウルの2箇所が主であったが非常に有意義な時間を過ごすことができた。また、私の休学タイミングが母親の事業を始めるタイミングと被った為、実際に店舗を持って立ち上げるまでの重要な時間を手助けすることができた。

結果、休学自体は非常に有意義のあるものになったし、日本だけ見ている場合ではないという言葉の意味を肌で感じることができたことは大きな収穫だった。
しかし一点誤算がある。それは世界中に家を作ったとしても、彼ら彼女らが結婚して家庭を持ってしまったら簡単に泊めてもらうことは現実的に難しくなるという点だ。当り前じゃないかという言葉が聞こえてきそうだが、私は友達を作る為にどうすればよいかばかり頭を使って他のことを考える余裕もなかったし、そもそもこのような簡単な想像すらすることができなかった笑
なぜこの事実に気づいたのかというと、休学が終わったタイミングで私の日本の友人に関してちらほら結婚や子供が生まれるというニュースを聞く機会が増えたからだ。
私ももう23歳。確かに高校の時ほどの運動能力や元気は無い。
「決して若くないんだな」と自分がまだ若いという認識を改めるきっかけになったことは言うまでも無い。

私は休学のきっかけを「貧乏でも世界中を旅行する手段はないのか?」という視点から始めた。これはお金が無い立場の人間が人生をどう楽しむという意味で我ながら良い発想だったと思う。
しかし、お金さえ有ればそもそもこの発想が生まれることはない。極論な話、お金の暴力で世界中に家を持って友達と遊べばいいのだ。そうすれば世界中旅行すること自体は非常に簡単だ。

しっかりと働いてお金を稼いで自由な生活を手にする。充実した人生にしよう!

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