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スマホ断ち

1.スマホの良い思い出

 私がiPhoneに出会ったのは社会人になりたての頃だ。
 とある素敵なご夫婦のサロンに伺ったとき。ご夫君の方とおしゃべりしていると、ふと音楽の話になった。
 するとご夫君はiPhoneを取り出し、話題にしていた曲をサラリと検索し、曲をiPhoneから流した。一緒に音楽に耳を傾けながら、とても話がはずんだ。
 そして、私はもちろんiPhoneを買った。

 そのあたりからスマホは瞬く間に世界に広まる。
 私はそれをリアルタイムに味わった。
 友人知人は皆スマホを持ち、Twitterをするようになっていた。
 Twitterで人と交流することが増え、リアルで会った人とTwitterで交流することが増え、Twitterで知り合った人とリアルで交流することが増えた。
 とにかくTwitterをする時間が増えた。

 そして最大のものが来た。FGOである。
 FGOの情報はもちろんTwitterで回って来た。私の好きな騎士がかっこいいヴィジュアルで出てきているスマホゲームらしい。
 ならばやるしかあるまい。
 そうして始めたFGOは非常に面白かった。
 ヴィジュアルも良いし、なによりストーリーが素晴らしかった。

2.スマホの悪い思い出

 しかし困った事がひとつあった。
 日常生活がすさまじくストレスフルだったのだ。
 私は公務員をやっていたのだが、おっそろしくストレスで死にそうだった。
 それでも私生活でエンジョイしまくっていたらストレスは解消できていたのだが、本格的に吟遊詩人活動を始めてしまった。
 吟遊詩人活動は楽しいことももちろんあるが、本気も本気で活動しているので苦労がひどかった。
 まずもって珍しい内容すぎて、理解者がいない。周りの人からも誤解だらけで毎回毎回説明するのにも疲れ果てる。仲の良い友人ですらほとんど理解してくれず「ただのハープ弾くのが趣味の人」みたいな扱いをされる。心がどんどんボロボロになっていく。
 私は物語を伝える吟遊詩人をやっているのに物語部分を無視されるのだ。声と竪琴の音が良いとばかり言われて何になろう。見た目が好きだが中身なんてどうでもいいと言われているのに等しい。それは人間として認められていないということだ。私は物語こそ伝えたいと思っているのに。
 見ず知らずの人の方が感動して理解してくれることも度重なった。見ず知らずの人が、初対面の人がわかってくれるのに、長年の友人がわかってくれない。友人ってなんなんだろう……とむなしくなった。結局もうその友人とは付き合っていない。あまりにも心がむなしかった。

 さらには、読書で行きづまった。古代中世西洋の叙事詩を読むときに難解すぎて理解が追いつかなくなったのだ。
 古代中世の外国の叙事詩は物語の解読では最難関クラスである。現代人の書いたものではなく、同じ国の人が書いたものでもないのだ。日本語訳されていたとしても、それは難しい。
 それを読み解いて現代人にすんなり理解できる言葉にして伝えるのが私が吟遊詩人としてやることなのだ。
 もちろん古代中世の叙事詩はゆっくり解読すれば私にでもわかる。しかし本当に時間がかかる。周りの神話が好きな人たちを見渡してもずんずん読める人ばかり。
 「原語とまではいかなくても英語で読めて当然」「英訳があるだけでも恵まれてると思わなきゃ」も実際に言われた。英語が苦手な私は英語だと、遅遅としたスピードでしか読めない。自分の能力の無さにどんどん自分への失望感が降り積もる。
 ついに、読書そのものが不能になった。

 読書は幼少期からの私の一番の趣味だ。
 本当にのんびりしたタイプの人間だったので、めちゃくちゃに怒られることが多く、焦らせられる毎日。あまりにもしんどいので、とにかくマイペースに読める読書がなによりも好きだった。
 毎日一冊くらい読んでいた時期もある。好きな読書ならいくらでもできる。呼吸するようにずっと本を読んでいた。
 そんな呼吸するように本を読む人間が、読書が不能になるというのは息を吸うことすらできないに等しい。

 誰にも相談できない。息もできない。もう死んだ方がましなのでは。
 生きているのに死んでいるのと同じ状態なのだから死んでも一緒だろう。

 でも、なんとしても吟遊詩人をやらなくてはという気持ちだけはあった。
 どうしていいかは、わからなかったが。

 結局、ぼんやりスマホを見るくらいしかできなくなっていた。
 集中力もない。
 ゲームならなんとか内容が理解できる。
 だからただFGOをやっていた。
 でもこれはまずいと思った。ゲームは依存しやすいものだという知識がある。明らかに依存している。

 やめねば。

 私はゲームをやめた。

 しかし、ぼんやりスマホを見てしまう癖は残った。
 Twitterを見たり……動画のサブスクを見たり……Webを見たり……

 友人と遊ぶことすらできないのだ。一体何をしたらよかったのだろう。
 京都御苑で散歩しながら植物を見ているときと、ティータイムだけが癒しだった。

 ゆっくり養生していると本を読めるようになってきた。
 ホッとした。

3.スマホ断ち

 しかし、しつこくスマホを見る癖は残っていた。ほぼ四六時中つけっぱなしである。
 本を読んでいるときも、折に触れて見たくなる。ついつい見たくなる。ついついついつい見たくなる。
 これはなんとかしなければ。

 ふと『スマホ断ち』(キャサリン・プライス著 笹田もと子訳 角川新書)という本を手にした。
 この本には前半はひたすらスマホの危険性について述べられている。
 要は「スマホに入り浸るようにアプリが設計されているから、ハマらない方が難しい」「しかしあなたはスマホに入り浸るより、最も注意を向けたいものがあるのではないか」という内容だ。これには説得されるところが大きかった。

 まず「スマホに入り浸るように~」については、嫌悪感が出た。
 私は他人に操作されることが大嫌いだ。もっとも大抵の人がそうだろう。「他人に操作されて嬉しいです!」とはならないと思う。心から慕う人ならまだしも、どこの誰とも知らぬものに操られたくはないはずだ。
 スマホのアプリに操作されるなんてまっぴらだ。
 ……おそらく著者に今度は乗せられているのだと思うのだが、そもそもスマホを断ちたくてこの本を読んでいるのだから利害は一致している。問題ない。

 もうひとつの「しかしあなたはスマホに入り浸るより、最も注意を向けたいものがあるのではないか」という方は曲者だ。
 なにかに依存する人というのは「すべてから逃げたい」人だ。
 注意を向けたいものがない人に「注意を向けたいものは?」ときくことほど酷なことはないだろう。
 注意を向けたいものがないのに注意を向けさせられるように強制されることは多々あった。
 のんびりじっくり何事にも取り組みたい方なので、生活というものに急かされるのが死ぬほど嫌いだったのだ。しかし年がら年中急かされた。きちんと生活しろ。早くしろ。きちんとしろ。お前は怠けている。
 怠けているわけではない。でもそんなに急かされてもすぐになんてできない。できるようになっても、はるかに私は遅れているので褒めてくれるわけでもない。できて当然だ、もっと先をやれと言われる。神経が参ってしまった。幼少期からそうだった。
 だから唯一、マイペースに進められる読書が大好きだったのだ。
 ただ読書には致命的な欠点があった。ひたすら孤独なのだ。
 一人でできるのはいい。でも、分かち合える人がいたらどれだけ嬉しかっただろう。私の周りにはそういう人が圧倒的に欠けていた。
 だから吟遊詩人に出会ったとき天職だと思ったのだ。
 見知らぬ人にも、物語を語れば、毎回一人二人は飛び込んでくるようにやってきて「感動しました」「こんなものを初めて見た」「本は読んでこなかったけど、物語の世界がそこに見えるようだった」と熱を持って語ってくれる。私はそれが心底嬉しかった。
 私が注意を向けたいのは、そんな物語の世界を一緒に旅してくれる人だ。
 きっと幼い日の私は、私のような吟遊詩人が来て、横で話を聞かせてもらって、そして一緒にお話をしたかったのだ。
 本の向こうにいる人は今ここにはいない。もちろん心の中で対話はできる。でもやっぱり生身の人間と対話したかったのだ。私も生身の人間なのだから。

 話を戻そう。
「しかしあなたはスマホに入り浸るより、最も注意を向けたいものがあるのではないか」
 この問いの答えは「私が最も注意を向けたいのは『吟遊詩人として人々と物語世界を共有し、対話すること』」だ。

 この本の後半には具体的に実行する方法が載っている。興味がある方は読まれてみるのもよいかと思う。
 私と同じく、スマホを断たないとと思っている人もいるだろうから。

 これからは人に物語を語れて、人と対話できるような……そんな吟遊詩人として当たり前のことにより注力していきたいと思う。

 旧友である本との絆も結びつつ。
 スマホとも健全にお付き合いしつつ。

(念のため追記。この本はスマホを完全に断つことを目的にしているのではなく、病的にスマホを見てしまうことはやめ、スマホのいいところとだけお付き合いできるようチューニングしていこう、というような本である)

 お読みくださりありがとうございました。
 吟遊詩人の妙遊でした。

追伸(2024.3.28追記)
 FGOそのものが好きな気持ちはずっとあるので、好きな人の話を聞いたり、Twitterに流れてくる情報を追ったり、配信を覗いたりとかはしてます。
 うーん、私がゲームをね、依存なしにできる人でありたかったですね。
 私はもともと家族がゲームをやってるのを横で見てるのが好きだったので、ゲームとはそういう距離感が向いてるのだと思います。

浮き沈みはげしき吟遊詩人稼業を続けるのは至難の業。今生きてるだけでもこれ奇跡のようなもの。どうか応援の投げ銭をくださいませ。ささ、どうぞ(帽子をさし出す)