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ゲームクリエイターという夢

ゲーム開発未経験、アプリリリース未経験、Unity未経験で最初からRPGを作るなどという絶対触れてはいけない禁忌に触れ3年、ようやく形になってきたので、

・開発過程のリフレクションとして
・次回作への技術的な備忘録として
・つぎの誰かの手助けとして

忘れないうちにまとめとこうと思い筆をとりました。アプリリリースの前後で不定期で書いていこうとおもいます。

ジーノについて

開発者は30代。幼い頃は父が仕事から帰ってきては毎晩かじりつくようにファミコンで遊んでいて、その様子を指を咥えながら見ているのが好きな子供でした。

確か父がドラクエ2をプレイしているころはまだ遊ばせてもらえず、ドラクエ3の頃にようやくプレイさせてもらった記憶があります。

ゲーム機はあるものの、それほど裕福な家庭ではなかったのでゲームソフトは年に1、2本くらいしか買えず、基本は中古ショップ、どちらかというと近所の金持ちなお兄ちゃん的な人から借りて遊ぶことのほうが多く、発売日に買って遊べた記憶はあまりなかったように思いますが、特にプレイヤーの積み重ねた行動が記録され、次の日もまたその積み重ねた行動の上でその物語の続きを楽しめるRPGが好きで、RPGばかりプレイしていました。

当時自分のなかではRPGといえばENIXかSQUAREで、それ以外はあまり冒険せずでした。ドラクエもFFも好きで全ナンバリングプレイはしましたが、なかでも小さい頃にプレイしたSaga1,Saga2,ロマサガが尖っていて、音楽も好きで強烈な印象を受けた記憶があります。

勉強は苦手だったのですが、物作りがすきで、通知表で一番よかったのは図工(情報、美術)だった記憶があります。ダンボールなどでアナログなロールプレイングゲームみたいなのをよく作っていた記憶があります。プログラミングを覚えてからはBASICでゲームを作ったり、自分のPCが手に入った頃には、ちょうど流行っていたFlashのActionScriptでインタラクティブコンテンツを作っていたりしました。

そんなこんなで学生時代はゲームクリエイターになりたいという気持ちも自然に芽生えてきたのですが、進学の過程でゲームクリエイターは狭き門、プログラミングができるなら業務系のエンジニアの方が将来の見通しが立ちやすいという現実的な壁に直面し、非凡さのない、チャレンジする勇気のない自分は無難な道を選んだように思います。

ということで20代は業務系のエンジニアを経験し、上流工程から下流工程まで一通り経験し、今は全く異なる仕事をしている次第ですが、昨今、個人でもゲームを作りやすい環境が整ってきたことを知り、また、ドット絵描きとして、自分のドット絵でゲームを作ってみたいという気持ちもあり、

グラフィック素材が自作できて、プログラミングかけるならいけるのでは?という安易で愚かな発想で長い旅が始まったのでシタ。

・・・・

と、ここまで書いて、そんな人ははごまんといるんでしょうし同じ道を歩んですでに次に旅立った先人もたくさんいるように思いますが、ゲーム、その他メディア、芸術作品、関わった人など自分が触れて消費(消化・咀嚼)してきたコンテンツはきっと唯一無二の組み合わせで、その人にしか作れない、どこかのだれかに楽しんでもらえる物作りはきっとあるんだろなと思います。

あとは、純粋に自分が遊びたいゲームを作っているので、そこに対して3年間一瞬もモチベーションが落ちることはなかったのはブレない軸として自分が本当に好きなこと、やりたいことがあることこそが、大事なんだなあと思う次第です。

2021年 IndiesGame大航海時代に、どちらかというとツルハシ売ってるほうがエコだったりしますし、ツルハシ屋さんにたくさん貢献してる気もしますが、やりたいことの先に何があるにしても、今たのしみながらやりたいことができている自分は幸せです!


次回、つづくかもしれないし、つづかないかもしれない

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