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郷土の味の次に叶えたもの

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「お願い。今日、先生に言って楽にしてほしいの。」
「痛みはないの。けれど身体がこわくて(辛くて)もう限界。」
「自分で最期は決めさせて。」

紀子さんが郷土の味の次に望んだこと。

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紀子さんは約3年前、遠方の地、北海道から千葉県に住む長女さんの近くへということで、銀木犀<柏>にご入居されました。90歳、春の移住でした。

いつも温厚で人当たりがよく、私たちにも気を遣いすぎるくらい優しい方。
銀木犀で知り合った友人と、毎日を自分らしく楽しく過ごす日々。
北海道では雪かきだった日課が、こちらに来てからは住宅内の花や植物の手入れに変わっていく姿。

そんな紀子さんを私たちは見届けていました。

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しかし、銀木犀にすっかり住み慣れて悠々自適な生活を送られていた昨年、思いもよらない肺がんの診断…。

でも紀子さんは落ち込む様子などは見せませんでした。
そして手術などで病に抗わず、銀木犀での生活を続けながら自然の流れに身を任せることをご自身で決めたのです。

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在宅でできる最小限の医療を受けながら、紀子さんの銀木犀生活は続きました。
ご家族にも毎日足繫く通っていただきながら。


少しずつお食事に食堂に来れないことが増えていきます。
それでも体調を見ながら「皆の顔を見て食事がしたい」と歩行器と携帯酸素を引いて来られる姿も印象的でした。紀子さんの懸命な生きる意志の姿でしたから。


今年が明けてから疼痛や苦しさを感じることが一層増え、そのたびに服用する薬の量も増えていきました。

その過程の中で、わずかに残っていたのは食欲でした。
タイミングとチャンスを見失うまいとご本人に聞いた、望む味。
すぐにご家族にも協力を得てとりかかった郷土の味の再現。

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「いい匂―い!」「美味しいでーす!」

おそらくお身体辛かったでしょうが、紀子さんの笑顔や歓声は本当にきらきらと輝いていました。

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それから2日後の朝、お顔を合わせに訪問すると、紀子さんから次の望みをうかがうこととなりました。

「お願い。今日先生に言って楽にしてほしいの。昨日の夜、考えて決めたの。」

手を合わせ拝むように告げるご本人。

「了解だよ、紀子さん。」
その覚悟の眼差しに、『もう少し頑張ってほしい』など、こちらの勝手な思慮での声援は返せませんでした。

紀子さんは同じ決断を長女さんにも伝えます。

「できればもっと会っていたいけど、お母さんが決めたことなら、わかったよ。」

親子の絆、信頼関係からしかできない長女さんの受容と共感の姿勢に、溢れてくるものがありました。

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その夕方、紀子さんは訪問医に3度目の決断を告げ、関係者皆がご本人の望みを叶えるという共通認識のもと、鎮静のための処置が施されました。


処置から2日目の夜、紀子さんは住み慣れた銀木犀の居室で静かに旅立たれ、ご自身の望む最期を迎えることができたのです。

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私たちは、改めてご本人の意思を尊重し受け止めることの大切さを学びました。
ご本人はもちろん、残される家族や私たち援助者も納得と充実のもとに最期を受け入れることができ、皆に笑顔をももたらすことができるということを、紀子さんは身をもって教えてくれました。


今、お棺の中で、達成感で晴れ晴れとしたきれいなお顔の紀子さん。
明日は生前最期の望み、紀子さんの「お別れの会」を迎えます。
銀木犀の仲間みんなで叶えますから。

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「お願い聴いてくれてありがとうね」
「楽しい想い出いっぱいねぇ」
「みんな元気に楽しく暮らしてね」
「良い人生ありがとうね」

紀子さんが残してくれた言葉。

ご自身の意思を貫いた紀子さんへ尊敬の念を込めて。
銀木犀<柏>に来てくれてありがとう!

銀木犀<柏>スタッフ一同より

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