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それでも僕はうんこ味のカレーを選ぶ

日本で幼児~初等教育を過ごした身であれば、恐らくは何人も選択し難い究極の命題に遭遇した経験があるものと推測する。命題は下記のようなものだ

「カレー味のうんことうんこ味のカレーを、食べなければならぬとしたらどちらを選ぶか」

これはどちらも選びたくないような最悪の選択の比喩として成人後も使う人間が散見されるものであるが、私はこの命題に対して明確な解を持っている。

「カレー味のうんことうんこ味のカレーを選ばなければいけない場面は、迷わずうんこ味のカレーを選ぶ」

なぜそれが言い切れるか、という理由付けも非常に明快だ。なぜならばこの解は、それ自体が父の遺言であり、我が家の家訓だからである。

父がこの世を去ってから、早いものでもうすぐ15年になる。

無口とまではいかないが、まるで自分の考えを語らない父だった。生前は子の視点からすればどんな仕事をしているのかすらもわからなかったが、凡そ世の父親像とはまあこんなもんなんだろうと思う。我々には見えないところで汗水を垂らし、ようやくその苦労の意味が理解出来る年齢になった時にはもう病床に伏していた。

数奇なもので、父同様、広告業界のど真ん中で働く今になってわかったことがたくさんある。しかも、インターネット専業の技術職の私とは違って父は紙媒体でデザインと営業を兼務していた。いかに横暴なクライアントに振り回されていたか、営利を出すために奮闘していたのかは容易に想像が付く。しかも、父が働いていたのは義理の兄が役員を務める身内の会社だ。ただでさえ大変な広告業界の中で、一体どれほどのストレスを抱えながら生きていたのだろう。

そんな環境にも関わらず、父は我々子どもたちに対して怒気を見せるようなことは全く無かった。酒を飲んでも静かで、イライラする仕草を見せることはあったが、そんな時は一人で外に出て煙草を吸い始める。本当に寡黙な父だった。

そんな父が、戯れに話しかけた時にただ一度だけ、真剣な表情で答えてきたことがある。それが表題にも書いた、カレー味のうんこか、うんこ味のカレーかという命題の話であった。当然、この話を振った私に深い意図は無く、ただの悪戯心か、たまに父と話してみたいと思った好奇心か、その辺りはもう自分でもよく覚えていない。

しかし、これに対しての父の回答は、今でも鮮明に覚えている。

「その二択で迷ったら、うんこ味のカレーを選ぶべきだ。どれだけカレーに似せようとしてもうんこはうんこだし、カレーはカレーだ。お前はどうしてもうんことしか思えないようなカレーに出合った時も、一片のカレーらしさを見つけて『見事なカレーであった』と言える人間になりなさい」

正直なことを言えば、言われた当時はドン引きだった。たまにふざけて話しかけてきた息子に対して何をマジレスしてるんだこの親父は、と呆気に取られていると、何故か休日にも関わらずネクタイを締めていた父はそのまま出掛けてしまった。

大人になった今ならよく分かる。休日のネクタイは、嫌なことの象徴だ。クライアントへの謝罪か、上司に呼び出されたか、深くは分からないが、そんな折にあまりにタイミング悪く楽天的な質問を投げかけたことで返ってきたのは、その後幾度となく思い出すことになる、父の金言だった。

その後何年か経った後、父は病に伏し、半身が動かなくなる。我々家族にとっては父が働けなくなったこともそうだが、それ以上に問題が山積していた。詳細をつらつらと書いていくと気が滅入る話になるので手短に書くが、会社の上司でもある父方の親戚がまあ不義理で、当然と言うべきか、会社の中でもそんな感じだったらしく、流石にやってられないので家族全員で父方全ての親族と縁を切り、係争に持ち込む気力も経済的余裕も無いので資産類も全て放棄する、といった状況だった。改めて思うが、具体的なことを一切書かずとも嫌になるような内容だ。父を苦しめていたのは長年勤めていた会社そのものだった。親族が役員を務めているという関係性だけでも圧迫感がある話だが、内実はもっとドロドロとしていたらしい。そんな環境でも我々兄弟を育てるために働き続けてくれたことを考えると、やはり私も胸に来るものがある。

そしてしばらくの介護生活の後に父は他界した。残念ながら、という前置きをすべきだとは分かっているのだが、正直なところを言えば、「やっと終わった」という感情が先に来た。これは長期に渡る介護経験者であれば皆通じるところだと思う。

葬儀の段取りをしていると、父が勤めていた会社の役員、つまりは縁を切る以前は伯父だった人間からの連絡があった。逡巡はしたが、家族内で合意の上で参列を許可した。私から見た父方の祖母、つまりは父の実母も当時は存命で、迷った末に私が連絡を取ったが参列を断られた。一体、どんな気持ちで断ったんだろうか。私は憤慨することも激怒することもなく、ただただ不思議だった。今となってはその心情も計り知れぬものとなってしまったが、お腹を痛めて産んだ子の最期の折にも意地を通す程度には、祖母の側にも拭えぬ程の確執が残っていたのだろう。

葬儀の最中は忙しさでよく覚えていなかったが、来訪した元伯父と話した時の感情だけはよく覚えている。いくらか思い出話をした後に、「申し訳なかった」という言葉が聞こえた瞬間、私は自我を失って食いかかりそうになった。何故それを、父が生きている間に言えなかったのか。一言だけでもいい、身を粉にして会社に尽くした父に、義理を通して見舞いに来るくらいできなかったのか。怒りに震えて詰め寄ろうとしたところを、兄に制された。流石は血を分けた兄弟である。ただ無言で、目で刺すように私を止めた。

人を呪わば穴二つ。復讐心がいかに無益なものであるかという事実は、行動心理学や行動経済学が学問として確立する遥か前から、人類は既に理解していた。しかしそれは、論理的には無益だとしても止められないほどの激情を引き起こすことがある、という心理的なメカニズムの裏付けでもあり、「無駄だからやめろ」と言われても、そう簡単に納得できないのが人間という生き物なのだ。

自分自身を賭してでも、あいつを不幸にしてやりたい。そんなどす黒い怨念に囚われそうになった際で、兄に制止されたことで私はまた我に返り、父の言葉を思い出した。

「悪いものに対して、悪いと言い続けることは全く正義ではない。悪いと知っていながら良いと嘘をつくのも正義ではない。弱っている者に唾棄するようなつまらないことに時間を使ってもいけない。一見悪いと思うものに、一片の良さを見つけられることが、人生においての正義というものだ」

一つ、深く呼吸を挟んで私は思い直した。考えてもみれば、元伯父からすれば、この葬儀に参列することへの現実的なメリットも、参列しないことへのデメリットもない。もはや醜聞が広がるような続柄でも無ければ、我々がむしろ嫌がるだろうことは分かっていて確認の電話をしてきているのだ。

彼なりの贖罪だったのかもしれない。それが妥当な解釈だった。
ずっと心には引っ掛かりのようなものがあったのかもしれない。彼だって人間だ。立場、責任、色々しがらみも有ったんだろう。線香を上げて、少しでも気が晴れるならそれで良かったじゃないか、と思い至るようになった。

改めて考えると、世間的に見たら父はなんと不器用な人間だったんだろうかと思う。もっと気楽に、もっと器用に世間を渡っていたら、まだ元気にしていてくれたかもしれないのに。

そんなことを頭が過ることもあるが、もしそのくらい要領が良い父であれば、私はこうなっていないはずだ、ということもまた事実なのである。

信念の下に生きるのは、時には困難が伴う。これは大きな会社で働くようになって特に身に染みることが増えた。誰もが汚いことをやりたくてやっているわけではない。世の中には知識格差や技術格差が存在する前提で、「巨悪の浸食を拒むために必要な小さな欺瞞」といった実に判断が難しいケースが存在することも理解出来るようになってきた。

そして真正面から正しいことだけを言い続けて駆逐されていった事業者もまた、無数に見て来た。

仕事を離れたってそうだ。どうしても人は、一見してわかりやすい悪を罵倒することに傾倒しがちだし、それを正義だと思いこむように出来ている。まるで自分に関係の無い芸能人の不倫に憤り、犯罪者には結審後も量刑で科された以上の罰を与えようと望んで止まない。世界全体が、どんどん狭量になってしまっているような感覚すら覚える。

ともすれば、うんこをカレーだと絶賛する詐欺師になってしまったり、うんこに対して「お前はうんこだ!」と罵声を浴びせ続ける狂人になってしまったりしかねないようなこの世の中で、幸いに私はまだ正気を保って生きている。不器用で、苦しくて、判断が難しいこともたくさんあるが、その度に思うのだ。

そう、それでもー

「それでも私は、うんこ味のカレーを選ぶよ」
不器用なりに幸せに生きていることを証明するために、私はまた墓前でこう呟くだろう。父が生きたこの世界が、くだらない世界ではなかったという祈りを込めて。そして父が残した私という存在が、父の言葉で救われているという感謝を込めて。

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