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8/3 夏の日記 焦げたサバ味噌

今日はお風呂場の掃除と
圧縮袋でクローゼットを
かっこよくするという目標のもと生きた。

夕方にご飯を作る気が出ないので朝に作ってみた。サバの味噌煮とポテトサラダと炒り豆腐の炒め物。サバの味噌煮と風呂のあれこれをしていたら、サバを焦がした。
まあそうだよなあと思って「お鍋ごめんね」の気持ちで洗う。

朝ごはんを食べながら、
「場所はいつも旅先だった」を観た。
朝と夜が多い、その映像はやさしい。
切り取るシーンが、さりげなくて何気ない。
それと語りがいい。
旅行先の人もご飯を食べて、仕事をして生活をしている。「当たり前なこと」は「愛おしいこと」なのかもしれないと思った。

わたしは朝日が昇る前から、
昇ったそこくらいがすきだ。
まだ1日が始まったばかりの、
なんとなく酸素がたくさん含まれた新鮮な空気が漂っているような特別な気持ちになる。
夜も静かで、みんなが寝静まったところで
わたししか起きていないのではという
気持ちも好きだ。夜だからこそ、仕事や自分と向き合うことができる。
そんな特別感は、自分に酔えるシチュエーションというだけかもしれない。そして、わたしは朝というはじまりが好きで、夜のはじまりを待つ時間を好んでいるのかもしれない。 


ドアを一歩出れば、旅である。
そう思うと、旅というのは暮らしによって
できているなあと、わかる。
遠かろうと近かろうと、旅であるか否かに
関係がない。
歩いて、見て、聞き、感じ、出会い、
観察するという意識を常に働かせること。
それはふだん、自分たちの日々の暮らし
そのものを豊かにする工夫の基本でもある。
旅に種類があるとしたら、
「どこか空間に向かうもの」と
「時間に向かうのもの」の違いくらいだろう。
それは、ほんのちょっとでも未知の場所に
動けばそこには必ず輝きが瞬いているということだ。
その輝きを美しいものとして、
ひとつひとつ自分で拾い集めていくことに意味がある。

映画「場所はいつも旅先だった」より

「汝、星の如く」も読んだんだった。
苦しい辛い複雑な感情を持たせられる人間関係。だけど、時代や社会的に解消できることや、時代が変化して、人間や関係のあり方が昔よりも多いことの良さなども感じられた。
ただ、全てがみんなそうなっているわけではなく、まだ若い世代のみで理解がされにくかったりする。
とりあえずむずかしいことはわからないし、みんないろんなことを考えると思うけど、家族を蔑ろにできない真面目さと、自分のやりたいように生きたいという願いは、自分の覚悟と一歩が出るか次第だとわかった。

今日も暑かった。
なんでこんなに眠くなるんだろう、
嫌だなあ嫌だなあ。

少し前の、漫画を読む自分。
このあとゲジゲジを見て、
全ての周りのものを
嵐のように手放し、ギャァと驚く。


あ、ちゃんと圧縮してしまったよ。

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