見出し画像

息をするぐらいの気持ちで

私は作文が好きだった。
どちらかというと「枚数以内に終わるのが苦手」な方だった。

なので正直な所。
「毎日更新に続けるも何もないだろう」
と思ったりする。

文章を書き殴るだけでも良い。
空を映して写真一枚上げるでもいい。

意識して苦しんでまで続けるものでもない。

それなら休憩してストックを2~3記事。
執筆ペースが遅いのであれば安心できる数。
作ってから再開したらいい。

というのが少し前の私が出来ずに体調を崩した原因の一つである。


noteではない事だったが本当におかしくなりかけていた。
健康で健全に頭が回る時にアウトプットするのがそりゃあいいし書ける。
なので、そうなる前に休むのをおススメしたい。

一度やめたからと言って戻って来てはいけない決まりはない。

格好悪いとかプライドとかが許さないのであればする事は逆になる。
日に2つずつかそれ以上書いてストックしておけばいい。

新しく書ける日はそれを出せばいいし、出せない日はストックにする。

一定のクオリティを保つのであればネタ帳が必要なのかもしれない。
そこまでしっかりやるならストックを作って始めたらいい。

新鮮で新しく、かつ有益な情報が大事。
当然なのだが全てがそうとは限らない。

投稿時に多少読み直して情報をアップデートすればいい。
そんなに頻繁に変わるものならばまずネタに困るはずもないのだ。

たとえば、プロ野球の試合を見て欲しい。

前置きをしておくと私は野球に興味はない。
その世界で頑張っている人達がいるんだな。
今年の優勝はあのチーム化。
で、今なんのリーグ中?
というそのぐらいの知識しかない。

けれど、多分ネタとしては尽きない。

こちらが何の行動もしなくても状況が変わる。
毎年選手は入れ替わるし、毎日毎試合コンディションが違う。
試合の分析までしたら書くに困る事は無い。

書く事がないということはないのだ。

これは野球に限らない。

見上げれば空も月も毎日違う。
少し外に出れば草木が季節を彩りその変化は日々の積み重ねである。
本もアニメも漫画も映画も日々膨大な数が目の前にある。
先人たちの知恵と努力の結晶を受け取る事が出来る。

知識があればより語る事が出来る。
無いのであれば学ぶ事も出来る。
感想が言えないのであればそれもまた言葉を学べばいいだけの事。
学ぶ過程を言語化して公開していくという手もある。

もちろん、向き不向きはある。

文章にするのがそもそも苦手な人には苦痛に違いないのだ。
けれど幸いな事に、色々な投稿方法がある。

自分に合う方法で、合うスタイルで続けたらいい。

文章を書くのに苦しんでいても、別の方法だとすんなりいくかもしれない。
私は基本絵を描き続けてきたが少しだけ小説に舵を切った。

絵を描くのも好きだが、文章を書くのも好きだし何より。
仕上がるのが文章のが早く、相手の時間を奪える量が長いからだ。

最後まで読んで貰えるかどうかは分からない。
でももしも読み切って貰えたのなら、通りすがりでも長く目に留まる。

三日月の形で笑うような、少しだけずるい考え方だとは思う。

作り手が聖人である必要はない。
誰かに届けたいと思っている時点で、我欲の塊なのだ。

無理に読ませる、見せるのはもちろん駄目だが。

見て貰うその中に確かな表現を織り交ぜていく。
方法は文でも絵でもどちらでも、届けばいいのだ。
そして続ける事が出来るならもっといい。

そして楽しいならさらにいい。

毎日更新を意識しなくてはいけない時点で習慣になってない。

「喉が渇いたから水を飲む」ぐらいの感覚で。
「息をする」ぐらい意識しない程度に。

日常として続けていく。

それが多分、気楽に続けていく方法。


今日は少しだけ真面目に語ってみました。
かくあるべき、は別にない。


続けるだけは難しくない。


それでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。

#noteのつづけ方

この記事が参加している募集

noteのつづけ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?