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美術作品はどこにあるんだろうね
先日ちょっと炎上したニュースがありました。
美術作品をデジタルアーカイブできるなら、現物は処分しても構わないという論が行政から出たらしく、これに対して専門家は「裏付けとして現物を持っていることは必要だと指摘した」そうです。
裏付けとして?
もしかしたら今後の美術作品の現物は、デジタル化されて展示されている美術作品が実在する証拠としての現物、と意味合いが変容するのかも知れません。
なかなか味わい深いですね。
僕は基本的に、美術作品のデジタル化の目的は現物が経年劣化や戦争や災害で失われた場合の記録という機能の他に、GoogleのArts&Cultureのように、インターネット上でフリーアクセスを実現することで、美術館に行けない人でも美術作品を鑑賞できるようにするためであると考えています。都市に集中していた、あるいは世界中に分散していた文化資本が、あるいはインターネット上のデジタルアーカイブによってより民主的になると言えるかもしれません。
文化資本の民主化というと、ちょっと輝かしい未来が見えますね。
しかし、忘れてはならないことは、デジタルアーカイブすることで美術作品の持つ個性は失われる、つまり規格化を免れないということです。
そもそもデジタル化、デジタルアーカイブというのは、現物をデジタル表示の中に再現することにほかなりません。現物がそのまま移転されるわけではないことを踏まえる必要があります。
それを踏まえて極端な話をすれば、ピカソのゲルニカもゴッホの星月夜も、ダ・ヴィンチの最後の晩餐も全てほぼ同じ大きさの長方形の平面に規格化されます。スマホやパソコンで表示するために、大きさの違いや展示環境の違い、質感その他の要素はすべて無視されます。これはこれらのメディアの特性上仕方の無いことです。
また最近ではVRその他の技術発展によって、たとえばシスティーナ礼拝堂の天井画も、ゴーグルをつければ実際にその下から眺め回すように見れるでしょう。しかし、やはり本物の場所に立って、その圧倒的な大きさを実感するのとは違います。展示会場の“空気”も違います。
たとえばサイバースペースでの展示が前提の美術作品ならどうでしょう。ネットにアクセスした先に、たとえば鑑賞者の状態によって表情を変える絵画があるとします。
それを現実世界に引っ張り出してきて、物理的に再現することは難しいものがあります。
容量がきついからといって現実世界で再現するからサイバースペースの作品を消去するという訳にはいきません。現実世界はサイバースペースの移転先ではないからです。同じように、現実世界の現物をデジタル表示の中に再現したからといって現物を処分していいものではありません。
僕自身は本物を鑑賞することに勝るものはないと考えています。やはり制作者が想定していた鑑賞環境で鑑賞することが何よりの作品理解に繋がるとも言えます。
デジタルアーカイブの役割はバックアップと文化資本の民主化であって、現物の移転先ではありませんし、そもそもそのままの移転は技術的に不可能です。
それを踏まえて、美術作品をデジタルアーカイブしたからといって現物を処分するなどということは到底許されないと、僕は考えています。もちろん現物を保存するのは相当のコストがかかっていて、公立美術館では市民の税金がそれを支えている訳ですから、市民が「美術作品の保存」について考え、議論することが最も大切だとも考えています。
今回は絵画を中心とする美術作品の話ですが、たとえば立体作品や、映像や文学になるとまた話が変わってくるでしょう。
お読みいただきありがとうございました。
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