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さらまわしネタ帳065 - 小学生の耳

先日某人が「オスカー・ピーターソンが小学生の頃から大好き」「オスカー・ピーターソンはどの音を聴いても美しい音だらけ」とおっしゃっていたんですけど、正直なところ、頭の中で「!?…!?…!?…」こういう記号が渦巻いておりました。十人十色というのでしょうか、人の好みは千差万別、今でこそ理解はできるものの、ある音楽に対する接し方や受け取り方がここまで違うというのも珍しいなという驚きに、一瞬脳内を占拠されてしまいました。

私の初オスカー・ピーターソンは30歳前後で、第一印象は「古いスタイルの人だなぁ」というところで終わってしまい、その後20年以上聴く機会も得られなかったほどですから、「ご縁がなかった」と言うしかないんでしょう。「音色が美しい」「端正なピアノ」という印象は、おそらく共通の感覚としてシェアできるのですが、そこまでで思考は止まってしまいます。「小学生の時に聴いてみたかったな」というのが、少し落ち着いてから湧き上がってきた感覚です。

自分は小学校4年生から音楽を聴き始め、6年生の頃には結構洋楽にハマっていた人間ですが、その頃はソウル・ミュージックやヒット・チャートものがせいぜいで、それ以上の情報は得られませんでした。ジャズを聴く機会は大学に入るまで得られなかったので(フュージョン除く)、「聴く機会があったならどうなっていたのかな?」という疑問が、昨日今日、頭の中を巡っております。タイミング的にはエレクトリック・マイルスあたりは耳にしていたかもしれませんが、小学生にはさすがに理解不能でしょうしね…。

ただねぇ、自分自身のことを振り返ったときに、1972年、小学校6年生から中学1年の頃に、WARのアルバム「世界はゲットーだ」を母親が買ってきて、毎晩毎晩、日に数回、繰り返し聴いていたものですから、音楽に関する結構な原体験として自分の中には存在しているんです。これがもしオスカー・ピーターソンだったら…、おそらくその後の音楽体験は全く別物になったでしょうね。

とにかく、楽器の知識もなければ、どうやって演奏しているのか想像することもできない段階で、WARのあの腰の強いリズムを体の中にしっかり取り込んでしまいましたから、その後に聴いた音楽に対して、接するスタンスが違ってしまったんでしょうね。母親が勤めていた印刷工場の仕事を手伝って貯めたカネで、初めて買ったLPはT.Rexの「ザ・スライダー」、2枚目はサイモンとガーファンクルのベスト、3枚目がグランド・ファンク・レイルロードの「アメリカン・バンド」なんですが、やはり今更にその理由が思い出されます。

T.Rexは単純に好きだったわけですが、サイモンとガーファンクルもメロディは気に入ったものの、リズムが物足りなかったんです。世の中がフォーク・ブームで沸き立つ時期に、そのまま入り込まず、強烈なドラムスとベースのグランド・ファンクの方に行ってしまったのは、理由があるんです。1973年の真夏に、金色のジャケットがまぶしい「アメリカン・バンド」を買った日のことまで思い出せます。あのイントロのドラムスのインパクトは相当のものでした。

もし、そんな頃にオスカー・ピーターソンを耳にしていたら…、ハマりましたかねぇ?ボロ・ラジオで聴いて美しいと思えたかどうかなんでしょうね。思い出すんですけど、1972年に「アローン・アゲイン」と「クレア」というバラード・ヒットを連発したギルバート・オサリバンも好きだったんですけど、73年にヒットした「ゲット・ダウン」という曲の方が、もっともっと好きだったんです。

ギルバート・オサリバンに関しては、レコードはアルバムもシングルも売り切れていてずっと後々まで買えなかったので、こちらもご縁がなかったんでしょうけど、AIWAのモノラル・カセット・テープレコーダーでAMラジオから録音した「ゲット・ダウン」の歪んだワーリッツァーの音が大好きだったんです。多分美しいピアノの音に魅せられる子どもではなかったんでしょう。

超絶ファンク・バンドのWARと、グランド・ファンクと、ギルバート・オサリバン、普通に見ればまったく共通点のない3者ですが、自分の中では一貫性があるんです。ちょいと歪んでいたかもしれないボロいヘッドフォンで、迫力ある低音を鳴らしてくれたという点では。

オスカー・ピーターソンの美しさが理解できる人間ではないということは、小学校の時点で決まっていたことなんですね。

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