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続・下町音楽夜話 0282「カリフォルニア・サウンドの本質」

先日のウェスト・コースト・サウンドを特集したラジオ番組では、特に制約があったわけではないが、あえて1980年代の音源を取り上げないことにした。中央エフエムの小松氏のセレクションも80年代のものがなかったので、仕方がないともいえる。とにかくカリフォルニア・サウンドと言えば一般的には1960年代70年代を指すだろうし、しかもベトナム戦争が始まる前と後とでは様相が異なるし、それがAORブームを通過した後の80年代はまた全然違ってくる。LAメタルを引き合いに出さなくとも、全く別物になって行くので同じカテゴリーとして扱うのは無理があるのだ。それでも共通するものが何かないか探しまくっているのである。

ベトナム戦争前の古き良き時代を語るには、映画「アメリカン・グラフィティ」という有り難い素材があるので、イメージとしては説明がし易い。70年代になるとシンガー・ソングライターらによるラヴ・ソングは内省的な歌詞が多くなり、政治的なメッセージを持つものも増えて、随分重たい内容の曲になっていった。表面的にみると60sの曲は脳天気に感じることも多いが、もちろん反戦歌も多くあるため一概には言えない。ボブ・ディランの歌詞は、通底音のように人種差別などの社会問題に痛烈な批判を浴びせ、世の中に毒づいている。その反面、夢のカリフォルニアが幻想と指弾されるまでは、見て見ぬふりをしているだけのような後ろ向きのものも多いことはあえて言うまでもない。

イーグルスが崩壊へと向かい始めたころ、ヴァン・ヘイレンとTOTOが出てきた。どちらもデビュー・アルバムが大ヒットして、衝撃のデビューとなった。バンドのスタンスは全然違うが、歌詞や発言はいずれも「カリフォルニア幻想なんぞ知ったこっちゃない」といった連中だった。音楽的にはヘヴィーメタルの先駆け的なヴァン・ヘイレンとポップロックを突き進むTOTOとでは随分異なるし、外見も少々毒のある美しさを体現するデヴィッド・リ―・ロスと、普段着に毛の生えたようなジャケットを着てステージに上がってしまうTOTOの連中ではまるで住む世界が違って見える。ギターのスティーヴ・ルカサーだけはAORの中でハードロック的な音を鳴らしており、居場所がないようにも感じられる。

勿論この2つのバンドは80年代の典型である。ヴァン・ヘイレンはヴォーカルがサミー・ヘイガーにチェンジした後も、随分ポップに聴こえるヘヴィーロックでヒットを連発するし、TOTOはグラミーを受賞した4枚目のアルバムで、これ以上はないポップロックのマスターピースを提示して見せた。面白いと思うのは、この2つのバンドが、いわゆるカリフォルニア・サウンドとは縁遠い音を出すことだ。確かに湿度は低いが、ソリッドなギター・サウンドはワディ・ワクテルやダニー・クーチ、アンドリュー・ゴールドといった典型的な70年代カリフォルニア・サウンドの名手たちとは何万マイルもの距離を感じさせる。結果として70年代と80年代のカリフォルニアは全く別物に感じられるのだ。

そもそもイーグルスの連中のソロだって、イーグルス的になることを避けたかのように、随分違ってくる。一人マイ・ペースなジョー・ウォルシュはジェイムス・ギャング以来変わりようもない音だが、グレン・フライはマイアミ・ヴァイスの「ユー・ビロング・トゥ・ザ・シティ」やビバリーヒルズ・コップの「ヒート・イズ・オン」でサックスをフィーチャーし新しい自分を見せてくれるし、ドン・ヘンリーは「ボーイズ・オブ・サマー」や「ダーティ・ランドリー」などのヒット曲で、イーグルスとは違った世界観を見せてくれた。

イーグルスのメンバーでは、ランディ・マイズナーの「ワン・モア・ソング」など、カントリー・ロックに寄った曲が大好きだった。80年代の西海岸にまだこういった心に響く音楽があることが嬉しかった。エリック・ジャスティン・カズの存在も大きいが、イーグルスのメンバーのソロ・アルバムではランディ・マイズナーのものが最高だと思っている。これを言うと、ひねくれ者と言われてしまうが、本音なので仕方がない。どうもバーニー・レドンがやりたかった音楽ほどカントリーに寄り添い過ぎているわけでなし、ちょうどいい塩梅なのだ。

時代に沿ってみていくと、90年代はレッド・ホット・チリ・ペッパーズやニルヴァーナということになる。その後もヴィンテージ・トラブルなど格好良い音楽がいくらでも出てくるのだから、やはりカリフォルニア・サウンドは侮れない。ただLAメタルと括られるものの中にはよその土地の連中も含まれるし、カリフォルニアの湿度の低さを感じさせないものが多いので、その部分だけははっきりさせておきたい。来月の自分のトーク・イベントも西海岸なのだが、そこは厳然と区別しているので、メタル系の音源を期待しないで欲しい。還暦を過ぎても激しいものばかりかけているから誤解されそうだが、本音ではチェット・ベイカーを潜り込ませることはできないか、真剣に考えていたりもするのだ。実際、真剣にレコードに閉じ込められた西海岸の乾いた空気を感じさせる音を拾い出すことに腐心しているのである。

もう一つ、ドゥービー・ブラザーズやスティーリー・ダンの連中は、80年代にほぼレコード・リリースを止めてしまうか、思い切りペースダウンしてしまうのだ。これが、映像の時代ともいわれる80sに馴染めなかったことによるのか、DX-7的な華やか過ぎる80年代的な音が嫌いだったのか知る由もない。ただ言えることは、70年代と80年代のカリフォルニア・サウンドを全く別物にしている原因の一つになっているということだ。


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