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下町音楽夜話 Updated 014「ネヴァー・ダイ・ヤング」

緊急事態宣言が延長されるようなニュースが流れているが、さてどうしたものやら。自分がコロナに罹ってしまったら、循環器系の不調で早期退職した人間なので、恐らく重篤化は免れないだろう。いや、おそらく死ぬだろう。一方で休業が長引くと、年齢も年齢なので、カラダがなまってしまうと文字通り再起不能になりそうだ。昨年5月下旬に再開したときも、本当に死ぬほど辛いおもいをした。このままではいずれにせよ死ぬのではという不安が脳を支配しており、レコ屋などの作業が全然捗らない。困ったものだ。

死生観に関しては、五木寛之の下山思想などを読んでからは、かなり前向きな意識を持って老後に臨む覚悟はできているのだが、こんな想定外の事態で死を意識することになるとは考えていなかった。少しでも落ち着いたらここ数年で読んだ哲学書などを再度読み返してみるかという気にもなっているが、如何せんシンドイ。以前に書いた文章も、こんなものを引っ張り出して読み返してみた。なかなか人生は思うようにはいかないものだ。

2007年12月は本当に待ち焦がれたアルバムがいろいろ発売されて、自分自身へのクリスマス・プレゼントが随分多くなってしまった。その中の一枚、ジェイムス・テイラーの「ワン・マン・バンド」は、嬉しいライヴ盤だった。ライヴCDにライヴ映像をフルに収録したDVDがおまけで付いてきた。他にもいろいろ収録されているこのDVDは、随分豪華なおまけだなと思いつつ、ライヴ映像のDVDに音だけのCDがおまけでついているものもあることに、妙な感覚を覚えたものだ。

ともあれ、ジェイムス・テイラーは歌を聴いて欲しいのだろうと理解することにしたのだが、映像で観たそのシンプルなステージは、インパクトばかりを追求するスタジアム級のロックバンドのものなどと違って、ほのぼのさせられる素敵なものだった。ワン・マンといいつつ、ラリー・ゴールディングスのオルガンも入っているが、別に問題はない。とにかく現役でバリバリ活動しており、決して過去の人ではないことが知れて嬉しかったのだ。

彼に関しては、2006年に主だった作品が紙ジャケットCDでリリースされ、一気にまとめ買いするのも憚られたので、少しずつ買い集めていたのだが、ようやく集まったところなのだ。ジェイムス・テイラーは1970年代のシンガー・ソングライター・ブームを牽引した人として、やはり70年代の音源に人気が集中してしまう。これに関しては自分もご他聞に漏れず、1980年代のアルバムはあまりきちんと聴いていなかったので、今回紙ジャケットで買って初めて真剣に聴いて、こんなにいいアルバムだったのか、と再認識させられたものまである。

そもそも紙ジャケットCDのブームは、「アナログLPで聴き馴染んだものをCDで買い直す」といった行動に出るオジサン連中に支えられているものと思われるのだが、しっかりデジタル時代になってから発表されたものまで、便乗して発売されるから困るのだ。しかもそれがリマスタリングされているものだから、好きなアルバムだとしたらやはり欲しくなってしまう。

そうして入手したもので、最近強く心に残ったものがある。1988年リリースの、オオカミのジャケットが非常に印象的な「ネヴァー・ダイ・ヤング」だ。シンガー・ソングライターとしてのジェイムス・テイラーからは、随分遠くまできてしまった印象を受けるアルバムだが、当然ながら暖かみのある声は相変わらずだし、演奏は堅実なバンド・サウンドで、非常に耳に心地よい。無理に飾り立てない、音数の少なさが好みだったこともある。

プロデューサーはドン・グロルニックなので、彼の影響が大きいのだろう。ドン・グロルニックは、マイク・マイニエリと親しいピアニストで、もともとジャズ・フュージョン畑の人間だ。ステップスやブレッカー・ブラザーズ、デヴィッド・サンボーンなどのアルバムで素敵な演奏を聴くことができる。マイク・マイニエリ作の名曲「サラズ・タッチ」のピアノは、生涯忘れられないドンの名演である。

彼は器用な人で、リンダ・ロンシュタットやカーラ・ボノフ、J.D.サウザーなどのウェストコーストを代表するポップなミュージシャンのバックでも素晴らしいピアノを聴かせている。ジェイムス・テイラーに関しては、1974年の「ウォーキング・マン」以来の付き合いで、ジェイムス・テイラーをして「音楽面はもちろんのこと、精神面でのバンド・リーダー」と言わしめたと、天辰氏の手による素晴らしい文章のライナーに記されている。

そもそも歌詞を聴かせることにかなり重きを置くフォーク寄りの人間だったわりには、デビュー盤はビートルズのアップル・レコードから発売されたし、名盤の誉れ高い青シャツが印象的な「スイート・ベイビー・ジェイムス」「マッド・スライド・スリム」「ワン・マン・ドッグ」の3枚の後は、すでに1974年の時点でデヴィッド・スピノザをプロデューサーに立てた件の「ウォーキング・マン」をリリースし、変わり行く自分をさりげなくアピールしている。

ボブ・ディランのように裏切り者扱いされたわけでもないが、その後名盤を連発したワーナーを離れ、コロムビアに移籍してからは、地味ながらも質の高いポップ・アルバムをリリースし続けている。そこには、ジャズやフュージョン、ラテンの要素などが渾然と内包されており、あまり意識せずに自然体で作ったらこうなりました的な、純粋な印象があるので決して嫌いにはなれない。その結果、今でもジェイムス・テイラーの新盤が出るとなると、予約して必ず買うようにしている。中身の質の高さが保証されているからできることでもある。

以前にも書いたことだが、自分は彼の精神的な弱さをもさらけ出して、自虐的な歌詞にしたり、すべての出来事を受け入れて自然体で生きる姿にかなり深く共鳴している人間である。音楽というよりも、その人となり、その生き様が好きなのかも知れない。ここでは、40歳を超えたばかりのジェイムス・テイラーが、加齢ということと直接対峙している歌詞が散見され、彼らしい真摯なまなざしとともに生への疑問や哀感が表現されていることが、素直に共感できて嬉しかったのだ。

決してマイナー調の曲想ではないが、独特の哀愁が漂っており、こればかりは、若い人たちにいくら言葉で説明しても伝わらないものだろう。やはり自分が40歳を超えたころから、体力的な衰えや容貌の変化など、ことある毎に思い知らされる寂しさにも似た感覚が、実に上手く語られているのである。そこは、さすがにシンガー・ソングライターとして高い評価を得ている人間だけに、音楽性だけでは語れない言葉を操る技や表現行為に関する深遠さを持っているのである。

また、このアルバムに関係していた人間は、何人も若死にしてしまっていることが、偶然にしても気になるところだ。ドン・グロルニックは1996年に病死、ドラマーのカルロス・ヴェガは98年に自殺した。8曲目の「ホーム・バイ・アナザー・ウェイ」をジェイムス・テイラーと共作したティモシー・メイヤーは、アルバムの発売直後に癌で亡くなっている。この「ホーム・バイ・アナザー・ウェイ」の歌詞は、イエス・キリストを訪ねる3人の賢者は、別の道を通って帰路に着くという譬えを持ち出し、神が言う別の道、自分がとるべき道を行けという、実に考えさせられる内容なのである。

真冬なのに、妙に暖かい日差しが心地よい窓辺で、この歌詞を読みながら「ホーム・バイ・アナザー・ウェイ」を聴いたとき、真摯に生きていれば、必ず進むべき道を示してくれるものがあるように思えてきて、不思議と安堵感に包まれたものだ。たった一度の人生は、恐ろしく短い、儚いものでもある。しかし、自分なりに納得のいく生き方ができれば、決して悪いものではない。自分の生き様は自分で決めるさ。当たり前のようでいて実は結構難しいことか、などと思いながらも少し元気になれた、ある日の出来事だったのである。

(本稿は下町音楽夜話297「ネヴァー・ダイ・ヤング(2008.03.01.)」に加筆修正したものです)

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