清澄白河カフェのキッチンから見る風景 : 一喜一憂
「飲食店経営という自覚はあまりない」ということは何度か書きましたが、レコ屋だったり、ラジオ・パーソナリティだったり、深川経済新聞の編集長をやっていた時期もあるので、「いろいろやってます」という表現が正しいでしょう。兼業前提でもの申しますと、飲食店経営はやはり異業種からの参入が容易ですから、早期退職後の選択肢としてはアリだと思います。
コロナ禍以降、特に売上に一喜一憂することが多く、正直なところ飲食店だけで考えると、早く店をたたんだ方がよろしいかと思います。商売だけでなく、老後の自分の活動拠点として、もう他にできることはないかという目線で周囲を見回しながら、いつまでやるかという感覚で続けております。
サブカル近現代史の研究というのは半分冗談でもありますが、古い音楽を聴くときに、どういう時代にヒットした曲、リリースされた曲なのかを知っておくと楽しさが数倍にもなるということをお伝えしております。趣味が高じて、諸々古のサブカル研究まで手を出しております。ローカル・カルチャーの情報発信ということでは、経済新聞も面白いツールではありましたが、自分ひとりでできるものではないことは重々承知の上、ロクな協力者が得られなかったということで2年でさっさと終了しました。まったくもって時間とカネの無駄遣いでした。
ただし、その時期から一層ローカル・カルチャーに対する興味は深化し、小唄・端唄の研究までやっています。深川はただでさえ江戸の庶民の名残りが見て取れる地域ですし、芭蕉さんやら小津安二郎監督あたりのきれいごとは行政にまかせて、もっと下世話なお座敷カルチャーやらを調べたりしているのですが、意外に面白く、意外に情報収集が難しいということも分かってきました。どこぞで「Think Globally, Act Locally」という言葉を目にしましたが、まさに自分がやっていることだなと感じまして、誰からも賛同やら評価など得られませんが、ライフワーク的に楽しく勉強しております。自己満足の極みです。
結局店でやっているトーク・イベントも、お題は何でもよくて、自分の集積した知識や情報、資産としてはかなり価値があると思われる膨大なレコードなどを上手く活用できればいいんです。この辺はもう自己満足すら通り越して、自分自身の生き方と向き合っているようなところもあり、残された時間で何ができるかを考えながら、あれもこれもというスタンスでやっております。一つの領域で深く、深く掘り下げるのもありでしょうが、浅く広く時々深く、といった程度で楽しんでおります。
ただ、こういったことで楽しんでばかりはいられません。やはりジンジャーというハコを維持していくにはそれなりに売上げも必要です。ランチはある程度混んでいる店なので、もう少しうまく回せればそれも可能でしょうが、飲食店以外の活動があまりにも収益に繋がっておりません。端的に夜がダメということです。
さすがに64歳にもなれば、体力的にも衰えてきます。お客様が多くても身体的に疲れますが、売り上げが少なくても精神的に疲れます。疲れ方が違うだけです。もう少しやり方を工夫しないといけないと常々思いますが、なかなか時間的な余裕がありません。お客様から「おいしかった」と言っていただければ少しは疲労回復にはなりますが、バタバタしているとその余裕すらないこともあります。…ない方が多いですね。
好例でもありませんが、今週の水曜日のことです。その日は大抵満席近くまでは埋まるランチタイムにホンの数名しかいらっしゃらなくて、そんな日に限ってスタッフさんは多めに入っていて、…まあ精神的に疲労困憊しました。そういう時は、時間があるならとその時できる作業を探してあれこれやるので、普段以上に疲れてしまうんです。ところがその日は、ディナーも終了間際にレコード目当てのお客様がいらっしゃって、ごそっと買っていかれましたから、トータルで売上げは普段と変わらないということになってしまいました。まあ、有り難いやら、古物台帳処理もあって、いろいろバタバタ、もうタイヘンでした。…何やっているんだか、と呆れムードになってしまいました。
飲食店経営は一喜一憂の繰り返し、その一喜一憂が楽しくて飲食店をやりたいなら問題ないのでしょうが、自分はあれこれやらないと気が済まないので、「そこじゃない」「目的が違う」ということになるというわけです。まあ人生の縮図みたいなものでしょうが、もう少し悪あがきしてみようとは思います。ただし、そろそろ終わらせるタイミングも考えないといけないようです。