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下町音楽夜話 Updated 009「年の瀬の砂町にゴスペルを」

数年前、縁あって、近所の老人福祉センターで「旅の英会話」という講座の講師を半年ほど務めたことがある。30人ほどの生徒さんたちが二週に一度、いきいきとした目をしてやってくる。中には欧州支社に赴任していたなどという経歴の持ち主もおり、当然講師より英会話が堪能だったりもする。一方でABCがやっとという方もいる。一番若い方で65歳、最高齢は82歳の生徒さんたちだ。その年齢まで向学心があるということだけで頭の下がる思いだ。

レベルの差がありすぎて内容を考えるときは本当に苦しんだ。与えられたテキストを読んでいくようなカリキュラムをこなすだけでよければ簡単だが、内容も自分で考え、テキストもあちこちからパクりながら作り上げた。毎回一曲オールディーズ中心の曲の歌詞を配り、お聴かせしたりもした。そして釈迦に説法と理解しつつも「英語のことわざ紹介」もやってしまった。なにせ格言やらことわざに関しては自分よりはるかに良く知っている方々相手にやるのだからヒヤヒヤものだった。

その年の12月の回では、当然の流れという感じでクリスマス・ソングの特集回を開催することになった。ネタ集めに100曲以上のクリスマス・ソングをあらためて聴いた。マライア・キャリーのクリスマス・ソングなど最近の曲はずいぶんと崩して歌われていることも判ったし、1950年代、60年代の曲が素晴らしい録音技術で残されているということには驚かされた。特に中音域が豊かでヴォーカルが瑞々しく聞こえることには感心したものだ。

当日、パット・ブーンやビング・クロスビーなどの丁寧に歌われている「ホワイト・クリスマス」や「サンタが街にやってくる」は皆とても嬉しそうに聞き惚れた。そこでひねくれ者の講師はサービス精神旺盛に、様々なタイプの曲まで紹介してしまったから、それも結構なボリュームで・・・えらいことになってしまった。スティングの美声には皆さん喜んだ。ラップのクリスマス・ソングは、英語はリズムに乗ってしゃべるものだという格好の見本となった。カントリー・ロックものは哀愁がただよっていることが理解され、これもよかった。意外にもロッカ・バラードものは大受けした。

そして「やってしもうた」が、ゴスペルだった。だんだんに盛り上がるこの手の曲は、最初はコール・アンド・レスポンスで徐々に乗せてくるという感じで、皆さん楽しんでいた。しかしゴスペルの常、曲の後半になると一気に絶叫タイプになってくる。本来は神に届けと教会の中でも大声で歌われているわけだから、別に気にすることもないのだが、年の瀬の砂町にこだまするアレサ・フランクリンの雄叫びは、ボリュームを落としそびれたこともあり、脳髄がしびれるような感覚になるまでの迫力で鳴り響き、皆の目が点になったまま、余韻を残しながら終わった。「ふー」というため息やら「・・・すごいね」というよくわからない感想を口にしていたが、まあこういったクリスマスもありかということで、皆さん納得されていたようではあった。

高齢者の方々と接することは、教えられることが多くとても楽しい。毎回この講座が始まる前は生徒の皆さんと雑談する時間が持てた。海の向こうにいる息子のところに遊びに行きたくて必死になって勉強しているのだという事情を話してくれたり、チョット身支度し紅の一つも差してくることで老け込んでしまうことの防止になるというお洒落な方もいた。歳をとっても上品にお洒落ができることは素敵なことだ。またいつも最前列の席に陣取って絶妙のタイミングでチャチャを入れてくれるおばあちゃんは、意外なほど寂しがり屋であった。昔ながらの仲良しグループで参加されている方々もいたが、一人で勇気を奮って参加され、雑談をする仲間ができて喜んでいる方もいて、まあ様々ではあったが、やはり他人との接触を求めているのかなということは皆さんに感じられた。

そんな中、何故か男性は皆一人だった。群れない潔さとともに、毅然と生きてこられたことを背中が物語っているようなところがあった。毎回「頑張れよ、ジイさん」と言いたくなったりもした。まあ、人懐こいバアチャンたちのアイドルをしていた半年だったが、この経験は自分にとって決して忘れられない貴重なものとなったことは確かである。

(本稿は下町音楽夜話025「年の瀬の砂町にゴスペルを(2002.12.14.)」に加筆修正したものです)

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