清澄白河カフェのキッチンから見る風景 : 付加価値
7月末で株式会社さらまわし・どっと・こむの第10期の12ヶ月が終了しました。つまり想定外の第11期が始まってしまいました。あまりの暑さに「何とか乗り切る」という思考に染まってしまい、目標を見失っていることすらおいといて、日々の雑事に追われつつ、大過なくやり過ごすことが使命のようになっています。…過去にしがみつくタイプじゃないですしね。
会社の清算をするには多額の費用がかかるということで、税理士さんに相談したら、無理に急いで動くなと言われまして、ほぇ~となっております。休眠状態を目指してやることも大してなく、なんやテキトーだなと呆れておりました。法人の清算も店の廃業も何気にお金がかかります。やれM&Aだ、居抜き物件専門仲介だといった電話が毎日のようにかかってきたり、資料が送られてきたり…。たかが隠れ家的な(すなわち集客には条件が悪い)カフェめし屋でも、10年やっていればそろそろかということで、こういうことになるんですかね。世の中の仕組みが見えて面白いなどと他人事的な感覚に見舞われます。
せっかく造った店舗、すなわちキッチンなどは新しく造ったので、スケルトン戻しとなると、それなりの費用がかかります。お金を払って解体するのと、少しでも買い取ってもらえるのでは随分の差が出ます。少しでも無駄が出ないようにしたいものですが、その一方でこれまでやってきた付加価値的な機能、飲食とは別の部分もありましてね。
つまり深川・清澄白河の情報発信や児童相談所のお手伝いなどといった部分を引き継いでもらえるなら、その事業者/個人事業主を優先したいなどという気持ちもありまして、簡単に割り切れるものではありません。税理士さんに言ったところで、数字で優劣がつく世界の住人にはご理解いただくのが難しいところかもしれません。
さて、先日園まりさんがお亡くなりになりました。享年80歳、ご冥福をお祈り申し上げます。中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりで三人娘と言う機会もありましたか、1960年代が全盛期の方です。「逢いたくて逢いたくて」が代表曲でしょうか。如何せん憶えてはいるけれど、という程度です。「夢は夜ひらく」は宇多田ヒカルのお母さん、藤圭子ヴァージョンのほうが有名かもしれませんが、こちらが先です。
訃報で80歳と聞いて、正直なところ驚きました。まあその前に、ご存命とは知らず、ショックに近いものがありました。要は十代、二十代前半にあの歌を歌っていらっしゃいましたか…ということです。子どもにとって大人の年齢は分からないものかも知れませんが、もう少し上の方かと思っておりました。
昭和のサブカルを語るようなイベントもやっておりますが、ウチのようなお店をやっていると、貴重な資料も集まってきます。あり得ないような貴重なものまでご寄贈いただいております。既に持て余している状況ですが、博物館級の貴重なものが溢れている店でもありまして、ハード・ソフト問わず、活用しないと勿体ない文化遺産です。店を閉めるにしても、これらの資料等をまとめて引き受けてくれるところがないとまずいわけです。自宅に持ち帰ることもできますが、少しでも多くの方の目に触れるようにして、次世代に語り継がないといけないものがいっぱいあるわけです。…さて、どうしましょ。
園まりさんの歌って今聴くとものすごく古さを感じさせます。ビートルズと同じ時代に一定の支持を受けヒットした昭和歌謡ですが、もちろんそこから一足飛びにグループ・サウンズやニュー・ミュージックに移行していったわけではなくて、オーバーラップしつつ消えていったものですよね。昭和歌謡と一括りに言っても、演歌もあれば洋楽の日本語カヴァーもあり、軍歌や「赤城の子守唄」といった日本人の心のふるさとみたいなものまであって、ポップではないもっと古いタイプの音楽がいろいろあったわけですよね。7インチ盤のレーベルでは「流行歌」と一括りにされるわけですが、随分広い概念ですよね。
もちろん自分は正直なところ、好きなものではありません。でもこういった園まりさんをはじめとしたエラく状態のいい7インチ盤は、時間の経過とともに資料的な性質も出てきており、何らかのかたちでまとめておいた方がよろしいのではないですかね。7インチ盤専門店などと言って売っている立場の人間が言うべきことでもありませんが、売り場が狭いこともあり、この辺は在庫ボックスに仕舞い込んであります。…真剣に行き先を考えないといけないものがいっぱいありますね。…さて、どうしましょ。
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