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下町音楽夜話 Updated 012「オール・オブ・ミー」

ここ数年、想定外のことばかりで、さすがに疲れたと思うことが増えてしまった。体力勝負の飲食店を立ち上げるなら50代前半までと思い、54歳で退職して始めたものの、思うようにいくことばかりではない上に、いろいろ新しいことも始めたりしているので、カラダがキツイのも当然だ。しかもいつの間にか61歳になってしまった。コロナ禍でモチベーションがいつまでもつかという話になってしまうのだろうか。シンドイときは古い音楽を聴くに限る。下手に元気が出る音楽を聴くと、「よし、次行ってみよう!」となりそうでいけない。

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先日、ダウンタウン・レコードを冷やかしていたときに、何気なく見つけて気になってしまい、ミルドレッド・ベイリーのアナログ盤を1枚買ってきた。とりあえず、一通り聴いてみたところ、映画「RAMPO」に起用されたという「オール・オブ・ミー」が非常によい。この曲は、いろいろな歌手のヴァージョンをこれまでも聴いてきたが、決定版的なものがなかった曲だけに、意外な思いがしたものだ。

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最初の白人ジャズ・シンガーということだが、レッド・ノーヴォの奥方というから、相当昔の人だ。当のアナログ盤も1945年から47年にかけての録音を集めたものということは、時代的にはLP盤の時代よりももっと前ということになる。この「オール・オブ・ミー」の愛嬌のある歌声が耳についてしまい、他のものも聴いてみたくなり、様々なコンピレーション盤が売られているうちでも、かなり安価で売られている4枚組のCDを注文しておいたのだが、これがなかなか入荷せず、手元に届いた頃には、アナログ盤で聴いた感慨も忘れてしまっている有様で、しばらく放置しておくしかなかった。

自分の場合、古いジャズが無性に聴きたくなることが時々あり、しばらく聴くと、またガツンとくるようなロックなどに戻ってしまうといった状況なのだが、ここ数年はそういった場合にビリー・ホリディばかり聴いていたのだ。少し違ったものが聴いてみたいと思ったときに、これといったものが思い浮かばなかったのだが、ダウンタウン・レコードの店頭で、件のアナログ盤「オール・オブ・ミー - ハー・マジェスティック・デイズ」が、「聴いてごらんよ」と語りかけていたのである。普段ロックばかり聴いている人間が、たまに聴くジャズとして選ぶには渋すぎる選択ではあるが、そこはやはり縁というべきか、数多くのレコードの中からこちらに呼びかけているように思えたのだ。そして、そういったものは大抵「アタリ」なのである。

旬の音楽を聴くのとは違い、こんなに古い音源を聴くのに、別に急ぐ必要はない。聴きたくなったときに聴けばよいのだが、特にそういう気分になったときにさっと取り出して、いくらか纏まった曲数が聴けるとしばらくハマッたりもする。特に気に入ったものが一曲でもあれば、それと似た傾向の曲をピックアップして聴いてみたり、同じ曲の別テイクに当っていったり、といった楽しみ方もできる。それには、最近の大量の音源が収録されているコンピレーション盤CDは都合がよい。脈絡なんぞまるでないような代物も多いのだが、自分の携帯端末に移して、好きなものだけ聴くという聴き方でも、結構重宝するものである。音楽の楽しみ方も随分変わったものだ。

聴く方も聴く方だが、作る側も昔とは全然違った方法で録音しているのだから、そういった変化の良し悪しを語っても虚しいことになる。如何せん、大量に供給される中から自分の好きなものを見つけるには、それなりの聴き方をしないと太刀打ちできないことは事実である。それにしても、昔の音源がこういった形で日の目を見ようとは、ご本人たちも予想だにしなかっただろうが、著作権法の保護期間切れの古い音源が格安で大量供給されているのだから、こちらも選択眼を鍛えておかないと、いいようにカモられそうでいけない。タイトルを変え、ジャケットを変え、様々な形で同じ音源が売られている現状は、決して好ましいことではない。

最近は、ジャズ・ヴォーカルを聴く機会がめっきり減ってしまった。それでも、今年の夏は、ソフィー・ミルマンの新盤が非常に気に入り、今年一番多く聴いたアルバムとも言える状況なので、まったく聴かないというわけではない。以前はダイナ・ワシントンやヘレン・メリルなども結構聴いてはいた。いずれも、クリフォード・ブラウンのトランペットがお目当てだったとはいえ、一時期は毎日のように聴いていたものだ。

ジャズを聴き始めたのが大学に入ってからとかなり遅かった上に、すぐにはハマらず、30過ぎてから狂った時期があっただけなので、新旧いずれの音源も新鮮に聴くことができた。性格的に学究肌というのか、いろいろ調べながら勉強するように聴いていって、好きなものを見つけるというタイプなので、ある意味、何でもありなのである。結果的に全然受け付けないものもあったが、ある程度はものの本であたりをつけてから購入するので、そうそうひどくハズレることはない。

ただ、ダイアナ・クラールのように、いったんハマッておきながら、ある日突然ダメになって、CDをすべて売り払ってしまったミュージシャンもいるにはいる。この辺は、ごく個人的な感覚の問題なので、説明も難しい。彼女のファンの方には申し訳ないが、ダイアナ・クラールは二度と聴かないだろう。往々にして、ある音楽が好きになる、また嫌いになるというのは、そういうものではなかろうか。いちいち説明などつくものではない。上手いからいいというものでもないし、ましてや売れているからとか人気があるからといって、気に入るとは限らない。そして、大した理由もなく突然好きになってしまうものもある。ビリー・ホリディにハマッた時もそうだったし、今回のミルドレッド・ベイリーも同様だ。

とりわけ、ミルドレッド・ベイリーの場合、バックの演奏がビッグバンドであるが故に、スモール・コンボ好きの自分が好きになる要素はほとんどないのだが、これが不思議とハマッてしまったのである。本人はふっくらとした体型に相当のコンプレックスを抱いていたようだが、やはり愛嬌があるとしか表現しようがない明るく可愛い歌声は、古きよき時代のアメリカそのものを体現しているようで、現代のジャズ・ヴォーカルものでは絶対に味わえない、豊かな時代の空気と晴れやかさを堪能することができる。

ホーギー・カーマイケルが彼女のために書いたという「ロッキン・チェア」や、ビリー・ホリディよりも早く録音したという「ラヴァー・カム・バック・トゥ・ミー」など、聴きどころもいろいろある。1930年代から40年代に活躍したということは、ビ・バップ以前ということであり、ここで聴かれるジャズは、あくまで純粋にメロディを楽しむための音楽だったのだ。何だか、急速な進化とともに失われてしまったものの大きさを再認識させられるようで、ちょっと胸を締め付けられる思いすらしたものだ。

結局、今年もこうやって音楽漬けで過ごしてきたが、やはりダウンタウン・レコードに足しげく通うようになって、また一段と古い音楽に接する機会が増え、間口を広げることができた年だった。その結果、現代のアナログにこだわった連中にまで食指を伸ばしており、最近はまたかなりの勢いでアナログ・レコードが増えている有様なのだ。相変わらず煩悩まみれの生活だが、これは当分止められそうもない。

(本稿は下町音楽夜話309「オール・オブ・ミー(2009.12.12.)」に加筆修正したものです)

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