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下町音楽夜話 Updated 007「アコースティック・スウィングのリアリティ」

コロナ騒ぎで中止になってしまったが、毎月恒例のトークイベントで4月はカントリー寄りのアメリカン・ロックを特集する予定だった。その予習を兼ねて、2月以降は埃っぽいアメリカーナ漬けになっていたのである。ラーキン・ポーやサマンサ・フィッシュなど、新しいアーティストの音楽も聴きまくっていたが、この辺はギター・テクニックに耳を奪われてしまい、つい集中して聴いてしまうのであまり気が休まらない。のんびりしたいときは、もう少しイージーなカントリー・ロックが好ましいようだ。自分の場合、のんびりしているチャンスがあまりないので語れる立場ではないが、アンダース・オズボーンやルーサー・ディッキンソンあたりの緩いアコースティック・ギターの音は適しているだろう。また少し古いが、アコースティック・スウィングなどもいいではないか。ホット・クラブ・オブ・カウタウンなどはその好例だ。2004年に横浜のサムズ・アップで開催された彼等のライヴは忘れられるものではない、素晴らしいものだった。

このテキサスの3人組はフィドルとギターとアコースティック・ベースのみの、シンプルな編成のバンドである。テキサス出身というと、ZZトップやスティーヴィー・レイ・ボーンなど、どのみち個性の強い連中が多い中で、十分個性を光らせている。アコースティック・スウィングという括りでは、ロバート・クラムあたりと近い存在になるが、古きよきアメリカ的なウェスタン・スウィングや古臭いスウィング・ジャズの要素が渾然となり、一聴すれば彼らだと判る音である。ジャンゴ・ラインハルトなどが持っていたヨーロッパ的なジプシー・スウィング特有の翳りのようなものがないあたり、やはり出自は隠せない、紛れも無くアメリカの音である。南部のケイジャン的なものを考えると、その辺の境界は曖昧にならざるを得ないが、カントリー寄りと考えていただければ間違いない。

この連中の音を聴いて、ヴァーチャル・リアリティ、つまり仮想現実というものが頭に浮かんできた。何もコンピュータ世代の音をしているということではない。正真正銘アコースティックな音である。ただこれまでにこういった音を聴き親しんだ時代があったのかということが疑問として浮かんでしまったのだ。楽しくも田舎臭いカントリー寄りの音楽であり、1930年頃に流行ったウェスタン・スウィングに近いものに聴こえなくもないが、若干異質な音である。似たようなものは過去にもあったとは思うのだが、ロカビリーにおけるブライアン・セッツァーと同様、やはり現代のグループであり、現代の音であることは間違いない。昔懐かしい音楽のような気もするが、スウィング・ジャズを咀嚼した上で生まれた、あくまでも現代の音楽だと思うのである。

21世紀になった頃から、アコースティック・スウィングのみならず、古臭い音楽が流行っているようである。実際は小さなマーケットであろうから、当然ヒットチャートに登場することはないが、マイナーながらもレコード屋の店頭では平積みにされていたり、専用のコーナーが設けられているので、それなりに購買層がいることが伺える。何かと物騒な世の中で、いろいろなかたちで自分を見つめ直す人間が増えていることが、懐古趣味ブームに繋がっていると見る向きもあるようだ。アコースティック・スウィング・ブームは、やはりジャネット・クラインのヒットによる部分も大きいだろう。

ホット・クラブ・オブ・カウタウンも注目すべきはエラナ・フレマーマン(エラナ・ジェームス)という女性フィドル奏者である。たまにはヴォーカルも披露するが、彼女の場合はやはりフィドルのテクニックが際立っている。ウィット・スミスのギターは猛烈な高速カッティングが素晴らしい上に、リードも大したものだ。そしてジェイク・アーウィンのスラップ・ベースは低音の隙間埋めに走らず、跳ねるようなタイプの演奏が実に潔く心地よい。3人とも若いが、異様にテクニックがありライヴ映えする。

極私的なことだが、ベースラインがメロディアスで主旋律を奏で、ギターなどがカッティングでバックアップするタイプの曲が好きなのである。具体的には曲の前半にAメロをギターやピアノが担当し、そのバッキングでリズムを刻むベースラインが後半でBメロに変わり、全部の楽器でBメロをコーラスやユニゾンで奏で始める瞬間が好きなのだ。細かい話で申し訳ないが、不協和音から和音に戻った瞬間と同じで、ギアが上手く噛み合ったような、何とも心地よい瞬間なのだ。

実はこの手法はソウル・ミュージックに多く見られるパターンなのだが、日本ではチャラあたりの曲で聴くことができる。タダモノではないこのあたりの日本のミュージシャンは、流石によく音楽を聴いているなと思う。その反面、どれだけのリスナーがそういったことを理解しているのだろうかと、自分のことのようにもどかしく思ってしまう。残念だが、日本ではミュージシャンの評価が、先ずルックスやスタイルなど、ヴィジュアル的要素が先行することが多く、そのことが目くらましになってしまうことが多いようで、正当に評価されていないミュージシャンが多い気もする。アメリカでも、チャーリー・セクストンのように正当な評価が受けられない気の毒なミュージシャンもいることはいるが。

さてホット・クラブ・オブ・カウタウンはルックスも話題にはなっていたが、そういうことではなく、十分音楽で勝負できるグループだと思っている。本来ならビールをチェイサーにバーボンでもあおりながら聴きたいようなノリノリのダンス・ミュージックである。ライヴの場ではカウボーイ・ブーツでも履いて、音楽に合わせて躍り出さなければ失礼なのではないかと思っている。この人達の音楽を正当に評価するということは、そういうものではなかろうか。何だかんだ言っても、楽しいものは楽しいのだ。当たり前のようであまりないことだが、楽しいという現代のリアリティがここにはある。・・・ただ残念なことにカウボーイ・ブーツは持ってないし、私は踊れない。

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(本稿は下町音楽夜話080「アコースティック・スウィングのリアリティ」に加筆修正したものです)

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